三宅裕司×野添義弘、最新作で60年代安保を描いた理由を語る 劇団SETの長寿の秘訣も

 三宅裕司が主宰する劇団SETが創立45周年記念公演『ニッポン狂騒時代~令和JAPANはビックリギョーテン有頂天~』を上演する。1960年代の日本を舞台に、アメリカンポップスの魅力に取り憑かれた若者と学生運動に明け暮れる若者たちによる恋と挫折の青春ストーリー。これを20代から70代まで層の分厚い劇団員たちが全身全霊で届けることで、昭和世代にも令和世代にも刺さるものになるだろう。

 笑い、音楽、アクションを武器にエンターテインメント劇団として45年走り続ける劇団SETの長寿の秘訣とは何か。

 70代を超えてますます若返っていくばかりの三宅と、劇団員として43年、アクションの振付もする野添義弘が語り合う。(木俣冬)

長く続く秘訣は“面白い”を更新し続けること

――45周年おめでとうございます。45年という年数にどんな想いがありますか?

三宅裕司(以下、三宅):そんなにないですね(笑)。よく続いたなあとは思いますが。毎回、周年記念にはなにかやろうと思うのですが、結局すぐまた次の年が来るので、45周年だからどうということはほとんどないです。

野添義弘(以下、野添):ゲストもなしに劇団のメンバーだけで45年間も続く劇団はなかなかないと思いますよ。しかも、規模を縮小することなく、池袋サンシャイン劇場という大規模な劇場で何十年とやり続けることのできる劇団は日本でも少ないですから。そこはやっぱりすごいと思います。ちなみに僕がSETに入ったのは旗揚げから2年目で、僕にとっては今年は43周年になります。まさか40年以上劇団に所属するとは自分自身でも驚いているくらいです(笑)。

――長く続く秘訣はありますか?

三宅:旗揚げのころは目標を書き留めていました。それらを全部実現できたことは我ながらすごいと思います。最初の目標は、池袋シアターグリーンで整理券を求めてお客さんが列を成す劇団になろうというものでした。実際、列ができたので、劇団員のみんなで列の後ろまで見にいきましたよ。やった!って。次の目標がちゃんとロビーのある劇場でやろうというもので、千石の三百人劇場でやりました。こうやって毎年目標をクリアしていったんですよ。そのためには、その年やったものよりも次の年がおもしろくなきゃダメなんです。単純に去年よりおもしろいものをやる。秘訣はそれですよね。最も難しい秘訣ですけれど。それを続けていけばお客さんは当然増えていきますよね。

野添:座長の三宅さんが毎公演出演していることも重要だと思います。ほかの劇団では、リーダーが売れるとほかの仕事で忙しくなって残りの劇団員だけで上演するようになりがちですが、三宅さんは常に先頭に立って舞台をやっています。人気者の三宅さんが出ている価値と同時に、三宅さんの舞台や劇団に対する愛情が観客の皆さんにも伝わると思うんです。

三宅裕司

――『ニッポン狂騒時代~令和JAPANはビックリギョーテン有頂天~』はどんな話でしょうか? また。60年代安保を題材にしたわけを教えてください。

三宅:漣健児という訳詞家がいまして。アメリカのロックやポップスに日本語詞をつけたカバーポップスを日本で流行させた人です。つまりJ-POPの大元を作った人です。アメリカの8ビート感を損なわない素晴らしい日本語訳なんです。その漣さんの話をずっとやりたいと思っていましたが、単に生涯の話を追っていくだけのストーリーで2時間の舞台を描けるかどうかといろいろ考えていたとき、ネットでテレビ討論みたいなものを見たら、学生運動をやっていた団塊の世代の人が「結局俺たちがやったことはなんにもならなかったんだよなあ」という話をしていたんです。そこでピンと来て、60年代の社会情勢と流行りの文化を組み合わせた物語ができるのではないかと思いつきました。アメリカかぶれの青年と、アメリカの言いなりにならないように立ち上がり、安保条約反対運動を行った学生、双方のことをドラマにできないかなと思ったんです。さらに、そのふたりの間に女性がいればなおいいなって。その構想を、劇団の作品を手掛けてくれている吉井美奈子さんに話して素晴らしい脚本に仕上げて頂きました。

野添:アメリカンポップスと学生運動をこんなふうに組み合わせることはなかなか思いつかないですよね。今回に限ったことではなく毎公演そうですが、エンターテインメントと社会的テーマを必ず融合させるのが三宅さんの特徴です。台本を読むと、三宅さんらしいというか、おそらくリアルに体験してきたことも入っていると思うんですよ。

野添義弘

三宅:入ってる入ってる。実際、僕が学生時代に経験したことを野添が演じる人物に表現してもらうことにしました。「安保反対」と真剣に言っている人達のうしろで悪ふざけをした50年以上も前のことが舞台に活かされるなんて思ってもみませんでした。(笑)。

――ミュージカル・アクション・コメディーという旗印を45年掲げてきたのが劇団SETです。

三宅:僕は音楽と笑いが子供のときから大好きで。中学でザ・ベンチャーズ、高校でニューロック、大学でジャズバンドとコミックバンドをやりながら高校、大学と落語研究会だったんですよ。劇団では全然食えない時期に劇団員でアクションショーのバイトをやっていたので、その要素を全部入れたエンターテインメントの舞台を作ろうということでミュージカル・アクション・コメディーにしたんです。

――今回、60年代の楽曲がふんだんに出てきますか?

三宅:坂本九の「ステキなタイミング」や飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」、弘田三枝子の「子供じゃないの」等々、僕と同じぐらいの世代の人たちには懐かしい曲ばかり、当時のヒット曲満載の舞台です。

(左から)三宅裕司、野添義弘

――アクション部分はどんな感じになりそうですか?

野添:安保闘争のシーンで殴り合いのケンカアクションをやりたいと三宅さんが言っていて。劇団の代表作である『リボンの騎士』(1980年初演)では、三宅さんと創立メンバーの山崎大輔さんと2人でカウンターのある西部の酒場でいろんな物をぶち壊しながら殴り合いの喧嘩アクションをやっていたんですよ。カウンターから酒ビンが並ぶ棚に飛び込んだり、頭を殴ったビール瓶が割れるようなことを生身の肉体で。今回はヘルメットとゲバ棒ですね。

三宅:いまは当時(1980年代)よりは予算があるから、市販の割れるビール瓶を買えるけれど、当時は予算がなくて劇団員で作っていました。そのため日によって瓶の厚さが違って。ある日、厚過ぎて僕の額が切れて血が流れたんです。前例にいたお客さんは「すげえ、どういう仕掛けだろう?」と驚いたみたいです(笑)。映像は一回撮影すればいいけれど舞台はステージ数だけ毎回やりますから大変ですよね。今回も、舞台上で機動隊と全学連の対決をどう表現するのか、これは難題ですよ。しかもヘルメットとゲバ棒でぶつかりあう場所は家のサロンという設定です。制約があると逆になにかアイデアが湧いてくるかもしれません。

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