濱口竜介は“映画”とどう向き合っているのか 著書『他なる映画と』に込めた思いを聞く

濱口竜介が映画について“書く”上で大事にしていることは?

――映画に関してレクチャーするということとは別に、映画について文章を書くという行為は、濱口さんにとってどういう意味があるのでしょう?

濱口:書くことも、その題材というか、向き合う対象によりけりだったりするのですが……。例えば、「2」の冒頭に収録した「あるかなきか――相米慎二の問い」という文章は、2011年に出版された『甦る相米慎二』という本に寄せたものなのですが、それを書いたときに、自分でも非常に手応えがありました。そのときは、できるだけスクリーンで相米慎二の映画を観るという機会をもらって、プロデューサーの伊地智啓さんはじめ当時のスタッフの方へのインタビューにも同席させていただきました。映画そのものだけでなく、相米慎二の現場というのはこういうものだったのかということも含めて、かなり自分の身体に入った状態でその文章を書くことができたんです。書き始める前にはつかめるとは思わなかったようなものが、指先でちょっとつかめたかなという感じの文章になった。そしてそれを書くことによって自分自身が変化していくという感覚も持てたんです。

――映画の実作者ならではの感覚と言いますか。

濱口:書くこと自体は嫌いではないのですが、それなりに労力が掛かるものではある。どうせ時間を掛けて何か書くのであれば、本当に自分自身が差し向かいにならないといけないような対象を相手に、あの手この手を使ってなんとかその映画を自分の身体に取り入れて、何らかの形で出てくるのを待つような書き方をすることを心掛けるようになりました。だから、依頼を受けて書いたものであっても、基本的にはこれだったら書きたいと思うものしか受けていないんですよね。以前から観ていてこれは一体何なんだろうと思っていたような映画だったり、かつて強く衝撃を受けた映画を撮った監督の新作だったり。その映画を観ることによって、そこで何かを見たり聴いたりすることによって、自分の身体を変えていく。それをいちばんの目的としてやっているところがあるんです。それはやっぱり、いずれ撮る映画のために、ということだとも思うのですが。自分が深く感動したり衝撃を受けたり、あるいは戸惑ってしまうこの映画は、一体どういうふうにできているのか。そこが自分にとってはいちばんの関心事だし、それを知るには撮影現場まで潜っていくような想像力が必要になる。そういうところまで自分をどうやって持っていくかということを、書くときには考えるようにしています。

――しかし、現役の映画監督で、ここまでしっかりした映画論の本を出すのは、なかなか珍しいことなのではないでしょうか?

濱口:いや、そうした流れは脈々とあるんじゃないですか。黒沢さんをはじめ、万田邦敏さんや青山真治さん、塩田明彦さんなど、映画を作るということと映画について書くということを並行してやっている人はこれまでにもたくさんいますし、遡れば吉田喜重や大島渚だって、あるいは増村保造にしてもかなりの量の文章を残していますよね。相米だって、書いてはいないけれども非常に明晰な映画講演を残しています(前出『甦る相米慎二』所収)。映画監督というのは、ある程度言葉がなければ映画を作れない。それが大前提だと思うんです。スタッフはもちろんのこと、役者のみなさんに納得して動いてもらわなければならないわけですから、ある程度の言語化がそこでは必要となる。もしくは、これは言葉にならない領域だというものを、あらかじめ画定しておく必要がある。だから、どこの国にも、今も昔も、映画を撮りながら映画について書いている人は必ずいるはずですよ。

――いま挙げられた方々も、そして最近では濱口さんや三宅唱さんもですが、何らかの形で蓮實重彦さんとの接点がある監督が多い、という印象があるのですが……。

濱口:蓮實さんが日本において、書くことと撮ることの一致点を示したというか、そうしたありようの一つの源流になっているのは間違いないとは思います。というのは、蓮實さん自身が、「見ること」を徹底することによって、つまりカメラマンや映画監督が撮影現場で見ているものと同じものを見ようとしながら、批評を書いているから。

――どういうことでしょう?

濱口:映画というのはどこか特殊な芸術と言いますか、作っているプロセスというものが、そのまま作品になっているものだと思うんです。人がどう動いているのか、カメラがどう動いているのか、その撮影現場で起きたことがそのまま克明に記録されることによって、少なくとも実写映画というのはできている。なので、その画面をちゃんと「見る」ということをすれば、撮影現場で何が行われていたのか、ある程度わかるわけです。もちろんフレームの外であるとかカメラが回る前のことはわからないけれども。蓮實さんの批評を読むと、自分が見逃していたこのモノやあの運動が画面に映っていることがはっきりと指摘されています。そして、それらが撮影現場で配置されたり演出されていなければ我々が感じているような印象や感動も生じなかったということもはっきりわかる。そういう意味で、蓮實さんの批評においては、見ることと撮ることとは結び付いている。だからこそ、蓮實さんのもとからあれだけの映画作家が輩出しているんだと思うんです。

――なるほど。本書を読んで改めて、映画の面白さはあらすじの面白さとはやはり違うところにあると思わされましたが、あらすじを書いた途端に、その映画の本質的な面白さとは、ちょっとズレてしまうような映画ってありますよね。具体的には、濱口さんの『悪は存在しない』のことですが(笑)。

濱口:例えば取材なんかで「どんな話の映画なの?」というのは聞かれがちというか、常にずっと聞かれ続けているわけですが、それに辟易するところもあって、映画の何が面白いのか、自分は何を面白いと感じているのかを、この本全体でパフォーマンスしているということだと思います。自分自身が映画ファンだし、映画を作っている人間でもあって、そういう者として映画のこういうところをすごく面白いと思っちゃうんですよね、ということがこの本には連続して書かれている。と言ってもそれは、あらすじというか「物語」がまったく関係ないということではない、ともやはり思うんです。本の中にも書きましたが例えば『牯嶺街少年殺人事件』は、その物語の把握できなさそのものが映画体験の一部であるはずだし、私が初めて観たときに感じた衝撃についても、たとえ断片的な把握であったとしても物語的な要素が寄与したところはすごく大きかったわけです。ただ、自分がインタビューなどを受ける立場になって感じるのですが、そこに映っているものを観ていたら物語をそうは捉えられないと思うんだけどなあ……というようなことが、正直、結構あるんです。まずは映っているものをちゃんと観てほしい、そのうえで物語について語ってほしい、とインタビューをされる側として思うことはあります。なので、自分自身、まずはその態度を実践しようということですよね。何が映っていて何が聴こえているかを具体的な出発点にすれば、そこをある種の合意点として、聞き手や読者とのあいだで話を進めていけるのではないだろうかと。

――僕の立場で言うのも何ですが、映画の面白さを言葉で表現するのは、すごく難しいことですよね。

濱口:そうなんです(笑)。基本的には観てもらうしかないとは思うんですよね。なので、観てもらえるように、観たくなるように、というのをいちばん期待して、どの原稿も書いているところはあります。

――最後にあらためて、『他なる映画と』というタイトルに込められた意味について教えてもらえますか。もちろんその含意については本書の中で詳細に書かれているわけですが、このタイトルを見て「どういうことだろう?」と思う人も、きっと多いと思うので。

濱口:まあ、思いますよね(笑)。でも、今まで話してきたようなことですよ。映画というのは、常に自分の目の前から逃げ去るもの、自分の耳から逃げ去っていくようなものであって、そういう視聴覚メディアであるからこそ、そこに強い「他者性」を感じざるを得ない。でも、その他者性みたいなものが、見るということ、聴くということを、かえって刺激し続けてくれるし、究極的には拡張してくれもする。映画を観るというのは、とくに映画館で映画を観るということは、この現実を見たり聴いたりするうえで最上のレッスンである、そんなことを感じています。決して見尽くしえない、聴き尽くしえない映画を、それでもなお観ようとする態度。それを誰よりもまず私自身に促すものとしても、このタイトルはつけられています。

■書籍情報
『他なる映画と』(1・2)
著者:濱口竜介
定価:2,500円(税別)(1・2とも)
四六判並製 仮フランス装
1:432頁 ISBN978-4-86784-006-1
2:384頁 ISBN978-4-86784-007-8
編集・デザイン:éditions azert

■公開情報
「濱口竜介監督特集上映《映画と、からだと、あと何か》」
配給:コピアポア・フィルム
協力:Incline、Sunborn、ENBUゼミナール、サイレントヴォイス、ビターズ・エンド、インスクリプト

〈上映作品〉
・『何食わぬ顔(long version)』(2002年)
©2002 fictive

・『PASSION』(2008年)
©︎東京藝術大学大学院映像研究科

・『永遠に君を愛す』(2009年)
©2009 fictive

・『THE DEPTHS』(2010年)
© Tokyo University of the Arts Graduate School of Film and New Media & Korean Academy of Film Arts 2010

・『親密さ』(2012年)
©ENBUゼミナール

・『なみのおと』(2011年)
©silent voice

・『なみのこえ 新地町』(2013年)
©silent voice

・『なみのこえ 気仙沼』(2013年)
©silent voice

・『うたうひと』(2013年)
©silent voice

・『不気味なものの肌に触れる』(2013年)
©2013 Sunborn, fictive

・『ハッピーアワー』(2015年)
©2015 KWCP

・『天国はまだ遠い』(2016年)
©2016 KWCP

・『寝ても覚めても』(2018年)
©2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会 / COMME DES CINÉMAS

・『偶然と想像』(2021年)
©2021 NEOPA / fictive

・『ドライブ・マイ・カー』(2021年)
©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

・『Walden』(2022年)
©fictive 2022

〈上映劇場〉
宮城県・フォーラム仙台:8月16日(金)〜
福島県・フォーラム福島:8月16日(金)〜
東京都・シモキタエキマエシネマ K2:9月6日(金)〜
神奈川県・シネマ・ジャック&ベティ:8月10日(土)〜
富山県・ほとり座:8月24日(土)〜
大阪府・第七藝術劇場/シアターセブン:9月〜
京都府・出町座:8月30日(金)〜 
広島県・横川シネマ:9月7日(土)〜

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