大竹しのぶ、“含みのある演技”の凄まじさ 『海のはじまり』で担う“役割”とは?

 放送中のドラマ『海のはじまり』(フジテレビ系)は序盤からかなり重く苦しい展開が続く作品だったが、いまその印象が変わりつつある。

 物語は早くも中盤を迎えるところ。そこで作品の印象の変化に大きな影響を与えているのが大竹しのぶだと筆者は考えているのだが、いかがだろうか。本作で彼女が担う役割は、とても大きいと思うのだ。

 『海のはじまり』で大竹が演じているのは、南雲朱音というキャラクター。本作には“ヒロイン”といえる人物がふたり存在し、そのうちのひとりである南雲水季(古川琴音)の母親が朱音だ。とはいえ、水季は主人公・月岡夏(目黒蓮)との間にできた娘の海(泉谷星奈)を遺し、もうこの世を去っている。

 これは夏と海の特別な“親子の愛”を中心とした家族の物語を描くものだが、先述した内容から分かるとおり、大竹が演じる朱音は複雑な立ち位置にあるキャラクターだ。

 彼女は海の祖母だが、不妊治療の末に授かった大切なひとり娘を失ったばかり。そんなところへ、顔も見たことのなかった夏が不意に現れたのだ。しかも、彼は海が生まれていることを本当に知らなかったというし、いま隣にいるのは水季ではなく百瀬弥生(有村架純)という女性。母としては感情がぐちゃぐちゃになって当然だろう。

 朱音役として姿を見せた大竹の演技には凄まじいものがあった。

 「目は口ほどに物を言う」という言葉があるが、まさにあれだ。まばたきや視線の動きはもちろんのこと、その瞳の潤みにまで、朱音が内面に抱えているのであろう感情が表れていた。彼女が口にする言葉はときに鋭利な刃物のようなものだったが、それはしょうがないだろう。繰り返すが、感情がぐちゃぐちゃなのだ。しかし彼女が発する言葉以上に私たち視聴者を不安にさせ、ある種の恐怖心を抱かせるのは、やはりあの“目”だったのではないだろうか。娘の死を経験したばかりの彼女自身が抱える不安や恐怖心が、どれだけ隠そうとしてもあの“目”に表れていた。そして私たちを飲み込んだ。

 大竹の含みのある演技には、観ているこちらまで感情がぐちゃぐちゃになったものだ。あの“目”から漏れ出ているのは、あくまでも朱音の感情の一部だけ。それがもしも決壊して溢れ出してしまったら……。朱音は壊れてしまうかもしれない。このある種のスリリングさを、さまざまな立場にあるキャラクターを相手に大竹は体現してきた。本作が持つ重苦しさの大部分は、“南雲朱音=大竹しのぶ”にあったように思うのだ。

 本作に対する印象が変わりつつあると冒頭に記したが、これはつまり朱音が変わってきているから。大竹の目には、朱音の中に生じる戸惑いや不安や恐れではなく、希望が感じられるようになってきた。娘が遺したあらゆるものたちに対する、慈しみの感情で満ちているように思う。だからいま、『海のはじまり』は苦しさではなく優しさに満ちている。

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