『燕は戻ってこない』最終話の後も物語は続いていく 石橋静河が“飛び立つ”結末に寄せて

「心が叫んでる。踏みにじられるな。奪われるな。人並みになりたいんじゃない。私は……私でありたい」

 『燕は戻ってこない』(NHK総合)最終話において、主人公・リキ(石橋静河)はそう言った。桐野夏生による原作(集英社)にないその台詞がどこまでも心に響いた。「人並みの幸せ」を求めて困窮のあまり、卵子と子宮を売ってしまったリキが、ようやく自分自身を取り戻したことがわかったからだ。彼女自身の人生が始まる、産声のようなものを、確かに聞いたような気がした。

 『燕は戻ってこない』が最終回を迎えた。吉川英治文学賞・毎日芸術賞をW受賞した桐野夏生による同名小説を原作に、『らんまん』(NHK総合)の長田育恵が脚本、田中健二、山戸結希、北野隆が演出を手掛けた本作は、「現在、国内の法は整備されていない」第三者の女性の子宮を用いる生殖医療「代理出産」をテーマに、三者三様の「卵に纏わる欲望」を描いた。

※以下、最終話の結末に触れています。

 何より、本作を観て感じたのは、「人の心は、誰にも、何にも、本人にさえも、コントロールすることはできない」ということだった。それは、代理出産によって「自分じゃなくなってしまいそう」で本能のまま、お腹の子の父親が誰か分からない状況を作ってしまった代理母・リキもそうだが、双子の誕生を目の当たりにした瞬間、「どうしても欲しくなって」これまでとは全く違った強情な一面を見せる悠子(内田有紀)もそうだ。頑なに自分の「DNAの証明」のため、自分と血が繋がった子供を欲していた基(稲垣吾郎)までも、あえて遺伝子検査をせず、双子を育てていくことを決意する。

 「この仕事でこんなにいろんな感情が起きるなんて想像もしてなかった。だから産んでから考えさせてください」と言うリキの予言が的中したように、子供の誕生は、瞬く間に、人々がそれまで一生懸命胸に抱いていた思惑などなかったことにしてしまい、そのまま思いもよらない感情の渦の中へ彼ら彼女らを流し込んでいった。とはいえそれを過度に「生命の神秘」「それを生みだせる女性の素晴らしさ」として崇めるのではなく(「それは男の幻想でしょ? 女を神聖化する必要あります?」と第9話における、中村優子演じるりりこが言うように)、あくまでそれぞれの実感を伴う形で、「所詮動物」である人間たちの欲望の奔流を描き切ったことが本作の何よりの魅力だったと言えるだろう。

 最終話において、悠子と基が道を歩いている場面は印象的だった。そこに赤い風船を取ろうとする少年少女が現れる。風船を取って渡してあげる基。その光景に、これまで度々映し出されていた、悠子が描いた鳥籠を持った少年少女と、鳥の絵が重ね合わされる。それは恐らく、彼ら彼女らの不在の鳥籠の中に、「空に帰っちゃった」鳥、つまり流産してしまった夫婦の子供たちが戻ってきたことを示しているのだろう。その後、互いに視線を合わせ、また歩いていく2人の姿は、それまで夫婦がずっと求めてきた幸せを手に入れた、この上ない充足感を示していた。そしてリキもまた、夫婦の幸せの犠牲になったりはしない。「私は私で」あり続けるために、彼らのための「産む機械」になってしまわなくていいように。交差点でこちらを見つめるリキの姿に、鳥の羽音が重ね合わせられていた。つまりは、彼女自身が燕となって、飛び立っていった。

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