髙橋海人の“痛み”は“1995年の少年たち”の救いに 『エヴァ』『未成年』と重なる『95』

 『95』(テレビ東京系)は、1995年に東京の私立高校に通っていた高校生たちを主人公にした青春ドラマだ。

 物語は現在(2024年)から始まり、ライターの新村萌香(桜井ユキ)に取材される広重秋久(安田顕)の回想を通して1995年へと遡っていく。

 当時、Q(髙橋海人)と呼ばれていた秋久にとって、人生を変える大きな事件となったのが、1995年の3月20日にオウム真理教が起こした宗教テロ・地下鉄サリン事件だ。事件に衝撃を受けたQは「世界が終わるのではないか?」という脅迫概念に取り憑かれるようになる。その後、同じ高校の翔(中川大志)から彼らのチームに入らないかと誘われるのだが、実は翔が過去にオウムと関わっていたことが明らかになる。

 劇中でも語られているように、1995年は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件の起こった年で、じわじわと進行していた不況の荒波が本格化し、経済大国としての日本に翳りの見え始めた年だった。その一方で若者向けポップカルチャーはかつてないほどの盛り上がりを見せており、CDはミリオンセラーが続出。漫画やアニメといったオタクカルチャーも勢いを増し、『週刊少年ジャンプ』は発行部数653万部超を記録、同年10月から放送が始まった『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』)が社会現象となった。マイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことでインターネットが一般に普及し始めるのもこの年だ。その意味で1995年は「昭和が終わり、平成が本格的に始まった年」だったと言えるだろう。

 やがてQは、ファッション雑誌の男子高校生モデルに選ばれたり、渋谷で生徒たちからカツアゲをするチーマーに対して渋谷浄化作戦と称して喧嘩を挑んだりする。一方で好きな女の子とデートで花火を見に行くといった甘酸っぱいシーンもあり、1995年ならではの不穏な空気を孕んでいるものの、描かれている物語は普遍的な男の子の成長物語だと言えるだろう。

 「世界の終わり」に対する不安や「ダサい大人になりたくない」という焦燥感に煽られてQたちが起こす騒動は、令和の価値観で観ると、愚かで呆れた振る舞いに見えるかもしれない。

 だが、過去の出来事だからこそ、Qたち男子高校生の危うい振る舞いも、ノスタルジーとして許容できるという側面も大きいのではないかと思う。

 前クールでヒットしたドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)ではテロップで断りを入れることで、現代から見たら不適切と思える80年代末の昭和の風俗を、懐かしい風景として描くことに成功していたが、当時10代だった自分が体験した1995年のカルチャーが、遠い過去として描かれている本作を観ると、自分も歳をとったのだなぁと、強く感じる。

 原作は1977年生まれの早川和真が2015年に発表した同名小説(KADOKAWA)。小説では2015年に1995年を回想する物語が、ドラマ版では2024年に1995年を回想する物語に脚色されている。そのため、小説では30代後半だった秋久はドラマ版では40代後半で、その分だけ「過去としての1995年」という側面がより大きくなっていると言える。

 筆者は1976年生まれで、劇中で描かれる風俗は理解できる。ただ、1995年当時は浪人生で『エヴァ』にハマっているオタクだったため、Qたち渋谷の高校生たちのイケてる日常は、どこか遠い。

 だが、テレビドラマに言及している場面は「わかるわかる」と思った。中でも1995年に放送された野島伸司脚本のドラマ『未成年』(TBS系)に対する言及が多く、広重を取材するライター名が新村萌香というのも『未成年』で桜井幸子が演じたヒロインの名前が元となっているのは間違いないだろう。

 『95』の根底にある、不安を抱えた10代の少年たちの青春の暴走というモチーフは『未成年』と重なる部分がとても多い。

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