『ブギウギ』最終週に立ち返るスズ子と羽鳥が紡いだ物語 描かれてきた「歌の力」の二面性

 NHK連続テレビ小説『ブギウギ』もいよいよ最終回まで残りわずか。少女の頃、母・ツヤ(水川あさみ)が番頭に立っていた風呂屋の手伝いをしながら、人前で歌を披露し彼らを笑顔にすることの喜びを知ったスズ子(趣里)の物語は、どうやら歌うことをやめることで締めくくられるようだ。

 ここ数年の朝ドラは、主人公が夢や目標を達成したり(『舞いあがれ!』)、老いたりする(『らんまん』)形で物語が帰結することが定番だった。そんな中で、『ブギウギ』が迎えた最終週は興味深い。彼女の芸能人生の終わりではなく、あくまで「歌手としての福来スズ子の終わり」なのだ。スズ子のキャリアはこれからも続くし、世の人々も彼女の姿を銀幕などで見ていく。彼女が老いるまで物語を進めようと思えばできたはずだが、そうしなかったという選択に、やはり本作がスズ子の人間性を映すことと同様に「歌の力」を大切なテーマとして扱ってきたことが強調されている。そして、その旅路には常に羽鳥善一(草彅剛)の存在があった。

 スズ子と羽鳥の絆は1938年にまで遡る。当時はスズ子も羽鳥にムカつき「殺してやる」という気概で「ラッパと娘」を歌い、羽鳥も他の歌手とも交流していた。しかし、スズ子と作り上げていったステージを通して、羽鳥はよりスズ子の内面に着目していく。それが彼女自身にとっての“歌う意味”にも影響を与えていたのが面白い。最初は周りの大人を楽しませたかった。その延長線で、梅丸楽劇団(UGD)で観客を楽しませることを知った。しかし、お客を笑顔にさせても自分が心の底から笑えない日だってあった。母の危篤の知らせ、弟・六郎(黒崎煌代)の死……。そんなスズ子の“鈴子”としての揺らぎを、羽鳥は譜面越しにしっかり見つめていたのだ。そうして生まれた「大空の弟」という曲は、スズ子にとって前を向く救いとなり、同じ境遇の市井の人々の心にも刺さった。娯楽は贅沢だと禁じられ、戦禍で慰安に向かうスズ子とりつ子(菊地凛子)、そして上海で音楽会に出席した羽鳥がそれぞれに感じた、それぞれの「歌の力」は本作の核だったように思う。

 戦争が終わり、ついにスズ子と羽鳥コンビの真価が発揮された「東京ブギウギ」。それは2人がワクワクし、ズキズキしたことを観客と共有し合うアンサムだった。そこで開発された“ブギ”を使って、彼らはたくさんの歌を作る。恋の歌、買い物の歌……「東京ブギウギ」を含め、聴くものたちの日々の生活に落とし込まれる曲は、さらにその「歌の力」の光と影を強調させた。聴くだけでワクワクして勇気づけられる者もいれば、そんなに浮かれられないほど厳しい現実の中で生きなければいけない者もいる。スズ子の歌で生きる希望を持った者がいる一方で、りつ子の歌で死ぬ覚悟ができた若者がいた時のように、『ブギウギ』が描く「歌の力」は常に二面性を持っているのだ。

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