『ブギウギ』を観て改めて考えるエンタメの存在理由 明日を生きる力を得るために

「ライブエンターテインメントは不要不急なのか」

 この問いの答えを最初に探したのは2011年、東日本大震災の時だったと思う。東北をはじめ、甚大な被害を受けた地域に比べれば比較的早く日常が戻ってきた首都圏だったが、夜の街からは電気が消え電車の本数も間引かれて、人々は不安な気持ちを抱えながら家路を急いだ。

 その頃、演劇やミュージカルを上演する主催団体や劇場に対し、おもにインターネット上での批判も起きた。曰く、電力の供給が不安定で一致団結して節電せねばならないこの時に、娯楽の場において照明や空調で高い電力を使うなどもってのほかという論理である。

 それから9年。2020年2月25日、新型コロナウイルス感染症対策の基本方針が政府により決定され、私たちはいわゆるコロナ禍での生活を余儀なくされた。人の密集を極力避けるため外出は控えるようにとテレビCMが流れ、もっとも日常的な場のひとつ、スーパーマーケットでさえ入場制限が行われた。となると、当然、観客が集まってこそ成立するライブエンターテインメントの世界では公演の実施が不可能になる。ほぼすべての劇場やライブハウス、コンサートホールは長期間クローズとなり、数えきれないほどの舞台やコンサート、ライブが中止や延期となった。

 現在放送中の朝ドラことNHK連続テレビ小説『ブギウギ』で2023年11月末から2024年1月初旬にかけて描かれたのは、日本に不穏な影が落ち、その後、戦争が始まってもなお歌と音楽の世界で生きようとするスズ子(趣里)たちの姿だ。愛する弟・六郎(黒崎煌代)戦死の報を聞いた後で歌った「大空の弟」、軍の検閲に影響されない曲をと羽鳥(草彅剛)から託された「アイレ可愛や」、そして彼女にとって大きな転機となった大切な楽曲「ラッパと娘」。ある時は劇場で、またある時は神社の境内や道端でスズ子は歌った。まるで命の灯を燃やすように。

 つねに確固たる意志をもって舞台に立ち続けた茨田りつ子(菊地凛子)も、鹿児島(おそらく知覧)の基地で若い特攻隊員たちに乞われ「別れのブルース」を歌う。「晴れ晴れと行けます。思い残すことはありません」と語る隊員たち。それまで何があっても気丈に振舞っていた彼女も舞台袖で崩れ落ちた。

 1945年8月15日、日本は終戦の日を迎え、その3カ月後にスズ子とりつ子は大舞台に立つ。空に散ったかもしれない隊員たちのことを思い、あの日と同じ「別れのブルース」を歌うりつ子と「ラッパと娘」で封印を解き、躍動感あふれるダンスを魅せて新たな時代の幕開けを予感させるスズ子。満員の観客たちはそれぞれの想いを胸に二人に盛大な拍手を贈った。

 本作『ブギウギ』で描かれるのは戦前、戦中、戦後のライブエンターテインメントの世界だが、現代に通じる強いメッセージを受け取ることも多い。最初にそれを感じたのは梅丸少女歌劇団時代の“桃色争議”で、その後、スズ子が梅丸楽劇団で活躍するようになってから忍び寄る戦争の足音、そして「お国のために」「不謹慎」と舞台上での表現に規制がかけられていくさまはコロナ禍でライブエンターテインメント業界が背負った苦難とも重なって見えた。

 ここでもう1度最初の一文に戻ってみたい。

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