『どうする家康』酒向芳が語る明智光秀としての覚悟 「どんな嫌なものでも出していける」

 主人公・徳川家康(松本潤)が“変貌”し、物語の転換点を迎えたNHK大河ドラマ『どうする家康』。個性豊かな登場人物たちの中でも異彩を放っているのが、「本能寺の変」の首謀者である明智光秀だ。演じるのは酒向芳。近年は『検察側の罪人』など、いわゆる“悪役”で観るものの感情を動かす芝居を見せ続けてきた酒向。彼は、日本史に刻まれる明智光秀をどんな思いで演じていたのか。(編集部)

酒向芳の役者としての“恥”

――酒向さんは演じる明智光秀をどのような人物だと捉えていますか?

酒向芳(以下、酒向):脚本の中ではあまりいい人としては描かれていないですよね。明智光秀に関して、自分の中に「こうやるぞ」というのはないんです。監督の考えに沿った演技に合わせていく。ただ、光秀は自分の故郷(岐阜)の人ではありますからね。方言が出るのはどうかと相談したら、監督から「それはいいですね」とマッチングしたのは面白かったです。最後の最後で天下を取れずに滅んでいく時に、自分の生まれた故郷の言葉が出るのは面白いんじゃないかと。「たわけ」というのは名古屋でもよく言いますけど、うちの方では「くそ」がつくんです。「くそたわけ」と。愚弄した言い方ですよね。

――岐阜の駅前には黄金の信長像が立っていますが、岐阜の方々にとっては織田信長というのは馴染み深い人物なのでしょうか?

酒向:少なくとも自分は全然馴染みはないです。ただ、天下統一をして美濃を平定し、信長が「岐阜」と命名したというのは若い時に知りましたけれども、特別な人という思いは自分の中にはないです。岐阜の駅前に像が立っているのを見ても「そうなんだ」としか思わないですね。

――『どうする家康』に出演されての地元からの反響はありますか?

酒向:ないですよ。友達なんかは観てるでしょうけれども、また嫌な役だなとか言われるくらいです(笑)。なんでお前は嫌な役ばっかりやるんだと言われて、しょうがないよって言うくらいしか。

――嫌な役が多いということですが、最近は民放のドラマで人がいい役も演じてらっしゃいますよね。

酒向:人がいい役というのは、プロデューサーや監督の中で、真逆の役を演じさせたらどうなるだろうかっていう期待があるんじゃないですか。悪い役をやっていた人が途端にそうではない役で出てくると、世の中は役の幅が広いとか言うんですけれども、僕はほとんどの俳優さんの中にそれはあると思っています。ただ、演出側が一つのイメージをつけすぎるから、いつもその方向に行ってしまうんだと思うんですね。全く違うものを演じさせた方が面白いんじゃないかというのは常々思っています。

――第27回で明智が家康をもてなす饗応のシーンがあります。信長や家康の顔色を伺いながらの緊張感のある場面です。

酒向:とても緊張感のあるシーンでした。その中で、明智が恥をかくわけですから。例えばですよ。キャスティングされて現場に行って、監督の考えに沿うように出来なかった俳優が、「ダメだね。役を降りたら」と言われたら、ほかの俳優、スタッフの前で大恥をかくと思うんです。でも、それは裏を返せば自分にできなかったということ。自分ができなかったことを恨むよりも、恥ずかしいという思いが先に立てば、そこにはいられなくなる。恥ずかしさの裏返しで、人を恨んだり、結果的に「裏切ってやる」という思いに至ったりすることもあるのかもしれません。

――酒向さん自身も明智という役に共感できる部分はありますか?

酒向:共感できる部分はたくさんあります。脚本に書かれている、明智の人を見下したような嫌味な部分は自分にもありますから。それは人間なら誰しも思っていることだと思います。それを出すのが私の仕事なので、脚本を読んだ時にその感情が自分の中で分かるというところまで持ってていかなきゃダメなんですね。それが分からなければ表現できないということになりますから。自分の中にあるものであればどんな嫌なものでも出していけます。

――酒向さんは役者として恥をかいたことはありますか?

酒向:あります。劇団(「オンシアター自由劇場」)の時の話です。入ったばかりの頃に、私がそばで何かすると、ある先輩が嫌な顔をするんです。「下手はうつるから」って言うんですね。恥ずかしかったですよ。同期とか下の連中も見ているので、もうどこにも行けない。でも、下手なのは事実でしたから。そういう恥をかいたことはいっぱいありますね。もちろんへこみますよ。でも、このまま辞めたら何もすることはないと思えば、もうちょっと頑張ろう、何かで見返してやろうって思います。自分が好きで入った道なので、そう簡単に辞めるわけにはいかないと思います。

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