『タイラー・レイク -命の奪還-2』がアクションとともに描いた、“家族の在り方”のテーマ

 『マイティ・ソー』シリーズでおなじみのクリス・ヘムズワースが、銃撃、格闘、カーチェイスなど、長尺で持続し続けるハードなアクションシーンに挑んだことが話題となった『タイラー・レイク -命の奪還-』(2020年)。その結末は、麻薬組織との激しい戦いの果てに被弾した、裏社会の傭兵タイラー・レイク(クリス・ヘムズワース)が、橋から川へと落下し、水に沈んでいくというものだった。とはいえ、致命傷を負ったと見られながらも、主人公タイラーの生死がはっきり示されることはなかった。

 続編となる『タイラー・レイク -命の奪還-2』は、そんなタイラーが、じつは生きていたという展開からスタートする。そもそも彼の生死がぼかされていたのは、シリーズ化を念頭においていたという事情もあるのだろう。第1作が驚異的な視聴数を叩き出したことで、タイラーは死の淵から呼び戻されることとなったのである。ここでは、そんな本作『タイラー・レイク -命の奪還-2』のアクションが印象的なものと感じられる理由や、真に描いたものが何だったのかを考察していきたい。

 満身創痍でリハビリ生活を余儀なくされていたタイラーだが、本作で彼は新たに、元妻ミア(オルガ・キュリレンコ)からの危険な依頼を受けることとなる。ジョージアの刑務所に囚われている、彼女の妹と二人の子どもたちを脱出させてほしいというのだ。その一家の父親は、ジョージアのギャング組織の首領ズラヴ(トルニケ・ゴグリキアーニ)の弟であり、家族は暴力的に支配されていた。

 タイラーは傭兵仲間のニック(ゴルシフテ・ファラハニ)らの協力を得て、計画のもと刑務所へと潜入。タイラーは救うべき家族との接触に成功すると、すぐさま脱出を開始する。圧巻なのは、そこから刑務所の大暴動に巻き込まれる展開と、森でのカーチェイス、貯蔵設備のある施設での攻防、貨物列車でのヘリ銃撃や白兵戦など、舞台も性質も異なるアクションが、ワンカットで20分、シームレスに続いていくという趣向である。実際には目立たないタイミングでカットを繋ぎ合わせていると考えられるが、それでも持続し続けるアクションに興奮させられる観客は少なくないはずだ。

 襲いかかる大勢の敵にタイラーが肉弾戦で対処し、腕が炎に包まれながらパンチを繰り出すという、コミックヒーローかのような演出や、至近距離まで迫ったヘリを列車から銃の連射によって撃ち落とす迫力の場面など、観客のボルテージが上がる箇所は、前作よりも多いと感じられる。前作に引き続きスタントチームも参加しているが、ヘムズワースは爆発シーンなど、いくつもの危険な撮影に生身で臨み、その危険さに「死を意識した」という。

 これら一連のアクションは、近年のFPS(ファーストパーソン・シューティング)ゲームにも近いものがある。とくに銃撃戦で次々に敵を撃ち倒していくところを長回しで表現している点については、『ジョン・ウィック』シリーズをも想起させる。先日、『ジョン・ウィック』の最新作のアクションを観たというオリバー・ストーン監督は、まるでビデオゲームのようでリアリティに欠けると批判したことが伝えられた。(※)自身がベトナム戦争を経験し、『プラトーン』(1986年)を撮りあげているオリバー・ストーン監督にしてみれば、現実ばなれした趣向に、一種の軽薄さを覚えてしまったのだろう。この種の批判は、本作にも適用されると思われる。

 その意味において、おびただしいほどの攻撃を浴びて、致命傷まで受けながら、それでもタイラーが復活して敵を倒していくという本作の展開もまた、ゲームやコミックで表現されるような、身体性から離れた荒唐無稽さだといえるだろう。アクション娯楽映画は、元からそういうものではあるが、近年、映像表現がどんどんリアリテイを増していく一方で、アクションスターの役割や常人を超えた作中の活躍自体はそれほど変化していないという構図が、アンバランスさを感じさせてしまう要因になっているのかもしれない。

 とはいえ、本シリーズの特徴となっているのが、タイラー・レイクの肉体と精神の異常なまでのタフさだというのも確かなことではある。前作で、彼がどんなに傷ついても目的を果たそうとしていたのは、難病で死が迫る息子の姿を見ることが耐えられず、背を向けてしまったという過去への後悔と贖罪の気持ちがあったためなのだ。

 タイラーは、だからこそ前作のラストで自分の命が燃え尽きていくことに、一種の安堵を感じていたのだと考えられる。そのため本作では、命が助かったことについて文句すら言うことになるのである。このような追いつめられた精神状態だからこそ、タイラーは人智を超えた力強さを発揮する存在として、一定の説得力を得ている。そんな精神状態が、セリフよりも戦闘そのものによって表現されるところが、本シリーズの特異な部分なのだ。これは、スタントマンとして活躍し、アクションで全てを表現してきたサム・ハーグレイブ監督ならではの発想だといえるだろう。

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