『らんまん』のテーマに感じた朝ドラの成熟 “時空を超えて”託された龍馬の熱い想い

 朝ドラこと連続テレビ小説『らんまん』(NHK総合)がはじまった。植物学者・牧野富太郎をモデルに、長田育恵がフィクションに仕立てて描くもので、主人公は槙野万太郎(神木隆之介)という。「雑草という名の草はない」という名言のある牧野をモデルにした物語は多様性が問われる現代にふさわしい。様々な野の植物が映されるタイトルバックもじつに清々しく、これから半年、どんなふうに展開するか期待が膨らんだ。

 高知の豪商・峰屋の長男として生まれた万太郎(森優理斗)は母・ヒサ(広末涼子)に似て病弱で、将来を心配されていた。年に一度の甑倒しの行事に体調を悪くして当主として出席できない万太郎に対して分家の人たちが「生まれてこんほうがよかったが」と陰口を言うのを聞いて落ち込む。だが、神社で出会った天狗こと坂本龍馬(ディーン・フジオカ)から、生まれて来ないほうがいい者などいないことを説かれ、心境に変化が起きる。神社を取り囲む森の自然の美しさから命あるものは等しく大事なものであることを万太郎は感じ取る。

 さらにそこへ息子を心配し探しに来たヒサが、バイカオウレンの花を見つけ、この日陰に咲く小さな花にも強い生命力があることを万太郎に語る。

 未来ある少年に自然(植物)を通して命の尊さを教えた天狗(龍馬)と母のふたりが、ほどなくそろってこの世を去ることになる。母はもともとカラダが弱く、容態が悪化して、亡くなる。龍馬は史実では大政奉還を徳川慶喜に提案し、表明が行われた1カ月後に襲撃される。高知出身ではあるが、万太郎と出会ったときには大政奉還に関することで奔走していたはずで、高知に立ち寄っている可能性は定かではないが、フィクションの自由という点で、こういうエピソードがあってもいい。

 天狗(龍馬)は第3話で仲間に呼ばれ風のように去って行き、第5話では幻影のように万太郎の前に再び現れる。ここで、もしかしたら、万太郎が出会ったのは坂本龍馬の生霊のようなものという解釈も可能ではないだろうか。

 龍馬が故郷に馳せた思いが少年の心と呼びあう。その少年は未来があるはずにもかかわらずカラダが弱いことや大人の心ない言葉に傷つき、生きる意味を見失っている。そんなふうに悩める子どもは万太郎ひとりではない。古今東西、世界に悩める子どもたちがたくさん存在する。そんな社会をなんとか変えたいという龍馬の想いが生き霊となって万太郎の前に現れたと考えると、物語のスケールはがぜん大きく思える。でもその核はミニマムな親子愛でもある。龍馬は万太郎に、自分にもいたかもしれない子どものことを思い、万太郎はすでに亡くなっている父を思う。万太郎は、父のような存在の人物と母から、これからの人生の指針をもらうのだ。亡くなったお父さんの立場は……というのはさておく。

 龍馬と母から生きる指針をもらった万太郎は、この後、雑草という草はないというモデルのような考えを抱くようになるのだろう。似たように見える植物でもそれぞれ微妙に特徴があり、万太郎はそれを丹念に観察し研究していくことになる。スケッチが天才的にうまく、絵にすることで枯れてしまう植物を永遠のものにするという発想を得たり、書き損なってもそれを失敗として捨てずに生かした絵を描いたり、これはもうSDGsの「誰一人取り残さない」という原則に沿ったある種の理想的なシナリオである。『舞いあがれ!』に続いて朝ドラがSDGsキャンペーンの一貫のようになっているように感じるがSDGsは悪いことではない。

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