『ちむどんどん』はドラマ批評に一石を投じる 朝ドラファンという“解釈共同体”の影響

 連続テレビ小説『ちむどんどん』(NHK総合)がいよいよ最終週を迎える。国民的コンテンツとしての朝ドラは、幅広い視聴者から愛される反面、厳しい目にもさらされる。黒島結菜演じる暢子ら比嘉四兄妹が、支え合いながらたくましく生き抜く様子を描いた『ちむどんどん』は、作品と視聴者、メディアの関係に再考を迫るものになった。

 沖縄の本土返還50年の節目に制作された『ちむどんどん』で、主人公の暢子たち一家は、大黒柱である父の賢三(大森南朋)を早くに亡くして苦労する。暢子は料理人を目指して上京し、イタリアンレストラン「アッラ・フォンターナ」で修業。やがて独立し、自らの店を持つ。兄・賢秀(竜星涼)の度重なるトラブルにも負けず、幼なじみの和彦(宮沢氷魚)と結婚。長男の健彦(三田一颯)を連れて沖縄に帰郷する。

 困難を乗り越えるヒロインの姿を通して、日々の生きるエネルギーを送るのが朝ドラで、『ちむどんどん』もこの定式にかなっているように見える。しかし実際には、多くの視聴者が想定外の展開に戸惑うことになった。作品への違和感はSNSを通じて表明され、Twitter上で、「#ちむどんどん反省会」のハッシュタグを付した投稿がトレンド入りするなど、大きな反響を呼んだ。ネットによって可視化された視聴者の反応は制作側にも波及し、局幹部が作品への理解を求める事態となった。

 この半年間、SNSによって最大化された言論の威力を痛感した人は多かったはず。筆者もその一人である。毎週、振り返りレビューを担当する中で、作品への不満が増幅する様子を横目で見ながら、『ちむどんどん』という作品をどのように評価すべきかについて、ひとしきり頭を悩ませた。朝ドラ恒例の反省会タグによる意見には客観的に見てうなずける内容もあり、ドラマ視聴のあり方に示唆を与えるものがあった。

 『ちむどんどん』をめぐる視聴者の反応は、「ファンダム」と「批評」の2つの面から考えることができる。平日朝の決まった時刻に放送される朝ドラは、時計代わりに視聴する人も多く、安定して高視聴率を記録してきた。朝ドラを観る視聴習慣は、朝ドラという放送枠自体のファン層を形成してきた。長年にわたって放送されてきた朝ドラには、名作として語り継がれる作品もあり、目の肥えたファンは作品に対する独自の見解を醸成する。それらがSNSというツールを借りて顕在化するわけだが、『ちむどんどん』のようなツッコミどころの多い作品では、ライトなファンを巻き込んで反応がエスカレートする傾向がある。

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