『シン・ウルトラマン』『トップガン』が話題の今、再評価したい『ULTRAMAN』

 5月に『シン・ウルトラマン』『トップガン マーヴェリック』という2つの作品が公開され、全国劇場が大きく盛り上がっている2022年。かたや1966年に放送された国民的テレビ作品『ウルトラマン』(TBS系)のリブートであり、かたや1986年に公開された大ヒット映画『トップガン』の続編に当たる。リアルタイムで観ていた世代や、往年のファンに刺さる要素を含みつつ、新規層にまで支持を広げながらヒットを飛ばしている、今年を代表する2作だと言えるだろう。

『ULTRAMAN』DVD(バンダイビジュアル)

 そんな中、にわかに再評価の機運が高まっている1本の映画がある。それが、2004年公開の映画『ULTRAMAN』だ(作品名だけで検索すると別のアニメ版が出てくるため、「映画 ULTRAMAN 2004」などで検索するのがオススメ)。今年5月13日の『シン・ウルトラマン』公開後まもなく、特撮ファンを中心に『ULTRAMAN』の話題がひっきりなしにSNSで上がり、トレンド入り。主要な動画配信サービスではほぼ配信されていないこともあり、Amazonの「特撮・戦隊・ヒーロー」カテゴリの売れ筋ランキングで本作のDVDが1位を獲得した(6月中旬現在も1位を継続中)。キャストやスタッフがその喜びをSNSに投稿した後も、5月27日の『トップガン マーヴェリック』公開が新たな追い風となり、『ULTRAMAN』を話題にする声は後を絶たない。

 では、なぜ18年前の映画『ULTRAMAN』にスポットライトが当たっているのか。それはひとえに、『シン・ウルトラマン』と『トップガン マーヴェリック』、両方に通ずる要素を含む作品だからだ。

 本題に入る前に『シン・ウルトラマン』について振り返っておこう。劇場で発売されたデザインワークス内の企画案にも記されているように、本作は「違和感なく現代に即した大人向けエンターテインメント、特撮映像だからこそ描ける『夢と現実の共存』」を目指した作品である。企画・脚本を庵野秀明が、監督を樋口真嗣が担い、オリジナルの『ウルトラマン』5話分のエピソードを土台にしながら、緻密なギミックで練り上げられたストーリー構成。タイトルの「シン」には「新」や「真」だけでなく、「神」「信」「心」の意味も込められているだろうことは映画を観ればわかるが、そうしたウルトラマンや怪獣(禍威獣)、宇宙人(外星人)の行動に別角度から解釈を与えているのが『シン・ウルトラマン』の面白さである。なぜネロンガは電気を食べるのか。なぜメフィラスはそんなに地球を欲しがるのか。そして、ウルトラマンとはいったい何なのか。『ウルトラマン』を観ていただけでは不明瞭だった“個々の事情”に対して、できるだけ解像度を高めるべくディティールの説明がなされているのは、『シン・ウルトラマン』を観て大きく感心したところだ。

 と同時に『シン・ウルトラマン』には拭い去れない疑問点もある。例えば、あまりにも初代の『ウルトラマン』に忠実すぎて、肝心なコアターゲットであるリアルタイム層/ファン層へのサプライズが少なかったこと。5話分のTVエピソードを切り貼りしたため、展開が矢継ぎ早すぎて、重きを置くべきポイントが見えづらいこと。ウルトラマンに多くの意味性が付与されすぎてトゥーマッチ感が否めないこと、などが挙げられる。“庵野映画”として観るか、ウルトラマン作品として観るかで評価も変わるとは思うが、大々的にウルトラマンを冠した映画として、そもそも今作がどれだけ「シン」としての役割を果たせていたのかという疑問も浮かぶ。意図的なオマージュは別として、『シン・ウルトラマン』には「すでに『ウルトラマン〇〇』で観たあのシーンっぽいな」と感じる箇所が散見された。戦闘シーンにおいても『ウルトラマンオーブ』(2016年)や『ウルトラマンZ』(2020年)といった近年評価の高い本家シリーズの方が、よっぽどカタルシスが高かったと言える(『シン・ウルトラマン』で戦闘シーンが重視されていなかったと言えばそれまでなのだが、それにしてもである)。55年以上に渡ってウルトラマンシリーズはその在り方を更新し続けてきたからこそ、「シン」を打ち出すには、もっと抜本的なストーリーや絵づくりの改革が必要だったのではないか。『シン・ウルトラマン』は間違いなく面白かったのだが、そういった越えられなかった壁もある作品だと感じている。

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