若手とベテラン双方の活躍光る豊作の年 2021年を振り返るアニメ評論家座談会【前編】
いまだ新型コロナウイルスの影響が続く2022年。公開延期となる作品もまだ多い中、2021年は2020年と比較して多くの作品が公開・放送を迎えた。庵野秀明監督の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、細田守監督の『竜とそばかすの姫』などベテラン勢による大作が大ヒットを記録し、若手のアニメーション監督も台頭。作品のバリエーションも光り、アニメ業界全体に大きな変化が生まれつつある。
リアルサウンド映画部では、レギュラー執筆陣より、アニメ評論家の藤津亮太氏、映画ライターの杉本穂高氏、批評家・跡見学園女子大学文学部准教授の渡邉大輔氏を迎えて、座談会を開催。前編では、2021年に印象に残った作家たちを挙げながら、実写とアニメーションの境界の融解について語ってもらった。(編集部)
「今後10年のこれからのアニメを占う意味でも興味深い1年になった」
ーー2021年のアニメ作品を振り返ってみていかがでしたか?
藤津亮太(以下、藤津):すごく力の入った長編が多くて、しかも30代〜40代半ばくらいの監督が含まれていました。今後10年のこれからのアニメを占う意味でも興味深い1年になった気がします。一方で、細田守監督のような十分なキャリアのある方たちが期待に応える作品を出しました。若手の監督とベテランの監督それぞれが結果を残したような印象を受けます。
杉本穂高(以下、杉本):広い世代の監督が活躍したと。そんな中でも気になる作品は色々ありましたか?
藤津:『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』ですかね。渡邉さんが昨年『明るい映画、暗い映画 21世紀のスクリーン革命』という著書を出されていますが、そちらを拝読しても思ったことなんですが、『閃光のハサウェイ』は画面が暗かったんです。それは今のアニメの撮影技術だったり、監督の個性が重なった結果、特に中盤の紫外線の描写が「暗さ」と「暗さの中にある光」のようなものをうまく使った演出になっていて。
渡邉大輔(以下、渡邉):お読みいただいてありがとうございます。私は配信で本作を観たんですが、配信と劇場で観るのではまた違うと思うので気になりますね。そんな話も以前、杉本さんとした記憶があるのでそのあたりも是非伺ってみたいですね。
藤津:あの画面の暗さは、理論上はできるけれど、やはり微妙なコントロールが必要になってくるので、なかなかあそこまで思い切れないと思うんです。明るい/暗いということで考えれば、アニメってそもそも明るいんです。1992年の『美少女戦士セーラームーン』を例にして言うと、夜の背景にいわゆるノーマルと言われている昼間の色のキャラクターをそのまま置いています。それは子どもがテレビで観て暗い・観づらいと思わない画面を作ることが普通だったからなんです。だから、暗さを意識した作品は自然と限られてくる。だから、『閃光のハサウェイ』のような暗さはなかなか作れない。デジタルで細かなコントロールができるようになって、ここまで繊細に暗さを表現できるようになったんじゃないでしょうか。
渡邉:普通のアニメと比べてもレイヤーの深い暗さがすごく印象的でした。藤津さんがおっしゃる通り、真っ暗な画面や色ってアニメでなかなかなかった表現ですよね。私が『明るい映画、暗い映画 21世紀のスクリーン革命』で試みたことは、言ってみれば実写映画をある種アニメ的に捉えるということでもあって。今、実写映画でもアニメ的明るさが散見できるという現況もあり、比喩的に「明るい映画、暗い映画」というキーワードを出しました。それで言うと、『閃光のハサウェイ』はむしろアニメの方が実写の暗さに近づいているというか。杉本さんも、藤津さんも書かれているように、アニメと実写の境界が曖昧になっているということの証左でもあると思います。
杉本:先ほど藤津さんがテレビアニメというのは基本的に明るいとおっしゃっていましたけど、おっしゃる通りだと思います。『閃光のハサウェイ』は劇場で公開されたときに、その暗さが絶賛されていたんです。ただ、配信が始まって、配信で初めて観た方の中には暗くて何をやっているのかわからないという方が一定数いましたね。暗い画面というのは映画館の暗闇の大きなスクリーンで観ることを想定した映像ですよね。村瀬修功監督自身も映画館での上映を前提に画面設計されているとインタビューでも語っていましたが、「明るい映画、暗い映画」という対立軸は「劇場で観る前提の作品とそれ以外の作品」という対立軸とも言い換えることができるかもしれないと思いました。。ハリウッドでは最近は、実写映画やドラマでも、配信前提の作品が増えてきていますから、実写作品の画面が明るくなってきているということもあると思います。一方、日本国内の映画市場は、アニメ作品が興行の大きな柱になりつつあります。
藤津:アニメが興行で強くなっているのは、お客さんからすると、映画館でリッチな映像が味わえる感覚って、実写とアニメなら後者の方がリッチさが明確に感じられるようになっているからだと思うんです。それが興行の数字にも出ているのかなと。もともと80年代にSFアニメが多く作られたときは、国内でSF的な表現をするときはアニメが1番コストパフォーマンスのいいメディアだったという背景があったと思います。特撮だとハリウッドほどお金は集まらないけれど、アニメなら画作りやプランをしっかり練れば、かなりリッチな画に迫ることができるし、絵で描くことによっていろんなものが表現できる。『閃光のハサウェイ』はガンダムファン中心の興行と思いますが、「初めてガンダム作品を観たけれどすごかった」という声も聞こえてきますし、映画館にふさわしい映像体験として選ばれたという側面もあるんじゃないかな。
渡邉:なるほど。スクリーンで観るべきでしたね(笑)。
杉本:『閃光のハサウェイ』は渡邉さんの著書の内容とも関わっていますが、ガンダム=兵器という意味で藤津さんが刊行された『アニメと戦争』という著書にも関わる作品ですよね。
藤津:『アニメと戦争』の観点で言うと、ガンダム作品って“良心の痛まない戦争ごっこができる箱庭”を用意したという功績があると思います。それまでにも『宇宙戦艦ヤマト』などにそういう傾向はありましたが、あそこまで箱庭の精度が高くなかった。ところが『ガンダム』は、作品内で描かれていないところにも世界があるということを作中の台詞で補強してくれたし、ファンがそれをさらに増強させたところがある。今となってはいろんな世界を題材に戦争を描いています。けれど一番多様なシリーズが作られているのは基本的に、「宇宙世紀」という架空の年代記の中でのでの戦争なので、実在した戦争を描くことの痛みを感じずに、フィクションとして楽しむことができる。ただ、もちろんフィクションだからといって簡単に人が死んでいいのかという自省もあって、『閃光のハサウェイ』は中盤の戦闘でシリーズでこれまで以上に、その場にいた一般人が戦いに巻き込まれる様子を丁寧に描いていて、これまでの描写を更新していると思います。ただ、それは無為の死を描くということではなく、あくまで主人公がテロをする動機だったり、状況の背景に死者がいるという範囲にとどまってはいますので、エンターテインメントとしてコーティングはされている。とはいえ中盤の市街戦は『ガンダム』がこれまでやってきた戦争描写の到達点という感じがしますね。
杉本:その中だと若干人の痛み寄りにはなっているということですね。確かに人間のアイレベル(目線の高さ)でガンダムがうごめくときの恐怖が映像で表現されたということですね。
藤津:あと、実はファーストガンダムでアムロがザクを見上げるシーンで、ザクがザクマシンガンを撃つとドラム缶サイズの薬莢が落ちてくるという描写があるんですが、それが今はこうなりましたよというメッセージでもあると思うんですよね。
杉本:なるほど、長年シリーズを続けてきて洗練され続けた1つの表現としてそれはあるということですね。一方でデジタル技術の革新によって新しい技術も担保されたという感じですね。なるほど、非常に面白い。本当にいろんな人に映画館で観てほしいです。改めてシーン全体を見渡すと、藤津さんが先ほどおっしゃったように『閃光のハサウェイ』以外にもいろんな作家の方々が個性を発揮していましたよね。