『カムカムエヴリバディ』は“名前”が重要なテーマに 太陽と月を取り込んだ「大月ひなた」

「心配せんでええ。今は真っ暗闇に思えるかもしれんけど、いつかきっと、光がさしてくる」

 NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』第70話で、深津絵里演じるるいはそう言った。川栄李奈演じるひなた登場による本格的な「ひなた編」始動を前に、るいの物語を締めくくるのにこれ以上相応しい言葉はないだろう。それは、母親・安子(上白石萌音)に「捨てられた」暗い過去を捨て、岡山から大阪に出てきたるいが、錠一郎(オダギリジョー)に会ったことで、人生に光がさしたことを示す言葉だ。それと同時に、「暗闇なんや。歩いても歩いても、サニーサイドが見えへん」とトランペット奏者としての未来を断たれ、苦しんでいた錠一郎の幸せそうな今と、彼を守ったるいのこれまでの日々を示す言葉でもある。

 「子供は子供でいろんなこと抱えているもんや」とひなたに言ったるいは、「昔、子供やった」頃、本当にいろんなことを抱えていて、母・安子もまた同様に、多くのことを抱えていたのだろうことを、きっと彼女はもう理解している。かつて安子がるいにそうしたように、ラジオの英語講座のテキストを買い与え、筆記体で名前を記入し、自身も台所で英語講座を聞きながら微笑んだ、第15週のるいは、言葉にしないまでも、安子との幸せだった頃の思い出を受け入れていた。

 本作は、2つの軸でできている。1つは、「るい」と「ひなた」の名前の由来であり、稔(松村北斗)・安子夫婦と錠一郎・るい夫婦を繋いだ曲、ルイ・アームストロングの「On the Sunny Side of the Street」。「あなたと一緒に日なたの道を歩いていきたい」という、家族になる人/家族を想うヒロインたちの思いを代弁する言葉であると共に、本作のタイトル『カムカムエヴリバディ』という全てを受け入れるような明るい言葉が意味するところの「太陽」のような明るさを印象づける。

 もう1つは、「モモケン」こと桃山剣之介(尾上菊之助)演じる棗黍之丞の「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある」という決め台詞。この台詞がイメージさせるものは、「太陽」とは対極の「月」。闇夜にぽっかり浮かぶ大きな月、そしてその下にいる、喫茶店「Dippermouth Blues」のマスター・定一(世良公則)と、まだ苗字も名前の漢字もわからない戦災孤児だった少年の「じょういちろう」(柊木陽太)。錠一郎が戦中戦後に経験した最初の「暗闇」と、それを歌と、「大月」という苗字をつけることで照らした定一との物語である。そして、その暗闇の記憶を錠一郎に思い起こさせたのかもしれない“世紀の駄作”『棗黍之丞 妖術七変化 隠れ里の決闘』。

 ラジオで「闇夜の月」と評された錠一郎は、るいの人生を照らし、彼女が拒み続けてきた過去と向き合うきっかけを作り、彼女の忌むべき額の傷を受け入れることによってその人生を肯定した。やがてるいは、「大月」るいとなり、その額の傷は、幼少期のひなた(新津ちせ)によって「旗本退屈男みたいでかっこええな」と肯定される。「旗本退屈男」の額の傷と言えば「三日月形」、天下御免の向こう傷だ。

 世間的に見れば“世紀の駄作”は、錠一郎からすれば傑作で、彼らの人生のハイライト、あるいは分岐点をより鮮やかに照らすために必要な影となる。トランペット/回転焼きを巡る男と女、それぞれの「決闘」が、初代桃山剣之介と伴虚無蔵(松重豊)との決闘の場面に重ねられる。回転焼き屋「大月」に貼られている『妖術七変化』のポスターの裏には、大月錠一郎のサインがあり、駄作と傑作、天才トランぺッターと、不器用だけど優しくて穏やかで、個性的な絵を描く「ひなたのお父さん」は表裏一体なのだと今も告げている。

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