『偽りの隣人』は行動することの重要性を問いかける コメディとしても楽しめる社会派作品
『1987、ある闘いの真実』(2017年)、『国家が破産する日』(2018年)、『KCIA 南山の部長たち』(2020年)……近年、自分たちの国家の闇を厳しく、そして力強く描いてきた、韓国の社会派映画。そこに、一風変わった特徴を持つ新たな作品が加わる。それが、本作『偽りの隣人 ある諜報員の告白』である。
主人公は、政権を脅かしかねない大物政治家の監視と諜報活動を命じられた、当局に勤める一人の“愛国者”だ。任務を遂行していくなかで、そんな彼の見る“世界”は徐々に変わり始める。本作は、変わりゆく国家、変わりゆく個人の内面を、社会派作品としては意外なほどユニークに描いていく一作だ。ここでは、そんな本作の魅力を解説していきたい。
コメディ×ファンタジーを用いた異色の社会派作品
映画『タクシー運転手〜約束は海を越えて〜』(2017年)でも描かれた、一般市民によるデモ隊が自国の軍によって虐殺されるという、韓国の歴史に深い傷を残すことになった「光州事件」。本作の舞台となる1980年代は、そんな悲劇的な事件から幕を開ける時代だ。軍内部のクーデターによって権力を掌握した執政者に統治された、この時代の韓国は、多くの市民が軍の監視や暴力に怯える、暗い時代だったのだ。
そんな政権を守るため、政治方針に反抗しそうな不満分子を日夜調べ上げているのが、主人公のユ・デグォン(チョン・ウ)だ。きわめて保守的な思想を持ち、権力側の正義を疑わない彼は、自分の幼い息子が左利きというだけで、「なんだお前は! 左派なのか!」と叱りつける徹底ぶりだ。
この“愛国者”デグォンが監視するように命じられた新たな対象が、野党の大物政治家イ・ウィシクである。本作のイ・ファンギョン監督は、本作をあくまでフィクションだと、公的に位置付けているが、時代や状況を考えれば、その後に韓国の歴史を変えることになる実在の人物がウィシクのモデルになっていると類推できる。
この大物ウィシクを演じているのが、韓国を代表する名優として知られる、オ・ダルスだ。彼は28年前に行ったとされるセクシャル・ハラスメントの訴えによって仕事を謹慎していたが、本作が久しぶりの復帰作となる。復帰については様々な意見があり、引き続きこの問題は議論されるべきところであろう。
ウィシクは政権にとって、言うまでもなく邪魔な人物。彼は自宅に軟禁され、行動が厳しく制限されることとなる。そして、その行動を家の中に仕掛けた盗聴器によって逐一把握し、得た情報を当局に知らせるのが、主人公デグォンの役割なのである。しかし、間の抜けた部下たちによって、監視業務は迷走を始める。本作はここから、さながら“レベルの低い『ミッション:インポッシブル』”のような様相を呈し始める。この映画、じつはコメディとして楽しむことができる作品なのだ。
それだけではない。隣の家で音声を聴いているデグォンが、いつしかウィシクと机を挟んで真向かいに座っているように観客に見せる、現実離れした幻想的なシーンが見られるのも、社会派作品としては異色といえる、本作の特徴なのである。コメディとファンタジー……これこそが、イ・ファンギョン監督の持ち味だといえる。
ファンギョン監督といえば、現在の韓国歴代興収10位という大ヒットを成し遂げた『7番房の奇跡』(2013年)を撮り上げている。この作品は、収監された父親と、彼に会うために刑務所房内にまで潜入する幼い娘の交流を描く、心あたたまる感動作だ。その内容は、現実にはあり得ないものといえるが、コメディ表現とファンタジー表現を適宜に組み合わせることで、ファンギョン監督は、ときに飛躍的過ぎると思えるような展開を描けてしまうのである。