『うみべの女の子』『猿楽町で会いましょう』 話題作の主演続く石川瑠華の“表情”に注目

 カンヌで脚本賞を受賞した濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』や、田島列島の青春漫画を沖田修一が実写化した『子供はわかってあげない』など、8月20日に公開された映画は軒並み傑作ぞろいだ。息苦しい真夏の折、映画ではそれぞれの役が鮮やかに呼吸をし、心から言葉を編み、生き抜いている。

 いま各地のスクリーン上に映し出されているそうした役たちの中で、ひときわ存在感を放つ女優がいる。同じく8月20日公開の映画『うみべの女の子』に存在するその女優もまた、深い海のような世界で、溺れないようにと必死に息をしている。

石川瑠華によって生き直される小梅

 映画『うみべの女の子』は浅野いにおの同名漫画が原作。中学生の少女・小梅(石川瑠華)と少年・磯辺(青木柚)の、セックスから始まる青くビターな恋愛模様が描かれた作品
だ。

 似た作品が全く見当たらない。14歳が主人公の映画で性描写が中心に据えられるというのがまずもって特異だし、紛れもなく中学生の物語でありながら年齢の枠をも超える青さと苦さ、爽やかさと痛々しさが共存している質感も青春映画としては珍しい。「少女と少年の」という紹介をしたものの、そこにいるのは紛れもなく人と人であり、性描写もただそれとしてあるのではなく感情の受け答えの手段として用いられる、どこまでもそこにいる“人”と“コミュニケーション”に焦点を当てた作品だ。

 そうした複雑な映画であるから、演じる役者にはさまざまな困難があっただろう。まずもって、原作が熱狂的なファンを多数有している漫画であることもプレッシャーだったはずだ。

 ときに、小梅を演じる石川瑠華の佇まいは素晴らしかった。鑑賞後にまず感じたのは、「一つとして同じ表情がなかった」ことだ。対面した相手に対して毎回、新鮮なリアクションを差し向けることで、目と口がそれしかありえない動きをする。あるときには目が縦横に揺れ動き、またあるときには口が小刻みに震える。その表情とともに、発せられる言葉もまた真実味を帯びていた。

 インタビューでは本作の役作りに関してこう答えていた(参照:浅野いにお『うみべの女の子』実写映画化で主演ふたりが感じた重圧「モヤがかかっているけど、あの夏のことは忘れられない」|QJWeb クイック・ジャパン ウェブ)。

「原作は全シーン素晴らしいけど、その顔とか表情をすべて頭に入れて『真似る』のは違うと思って。だからじっくり読み込んだんですけど、そのあとにすべて忘れ去りました」

 そこには自分が演じる役と、相手役とに向き合う真摯な姿勢があったのだろうと思う。原作にある小梅の感情を取り込んだ上で、石川瑠華の身体を通して全く新しく役を生き直すということ。その身体で、磯辺や桂子(中田青渚)、鹿島(前田旺志郎)といった対面相手の動きや言葉にその場その場で応じていくということ。役者のそうした姿勢があったからこそ、小梅は原作を飛び出してスクリーン上に生きることができたのだ。

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