記憶という“フラット”に囚われた密室劇 『ファーザー』の鬼気迫る恐怖と悲壮

 認知症をテーマにした作品の多くは、忘れられる側の視点で描かれ、その献身さと悲しみが強調されてきた。しかし、本作は忘れる側の視点を描くことで、忘れる側は忘れる側でこれほどまでの恐怖と孤独の中、困惑して生きているのだということに気づけるようになっている。だからこそ余計、両者の心がすれ違い、遠ざかっていく様子が辛い。

 とても悲しいが、それでもしっかりとその事実に向き合い、理解に努める必要がありそうだ。なぜなら、私たちは皆いずれ老いるから。歳を重ねることに前向きになろうと思っても、自分でも80歳の自分がどうなっているかなんて想像できない。そんなの、誰にもできない。私も気がつけば、いや、気が付かないうちにたくさんのことを忘れていくのかも。自分の両親がアンソニーのようになるかもしれない。そうした時、この『ファーザー』のように両者がそれぞれの立場で各々に抱える恐怖を描き切った作品は、多くの文脈で助けになるだろう。

 忘れるというより、覚え続けることは難しい。なにせ、忘れたことは既に“何を忘れたのかさえ”わからないのだ。学校のテスト勉強がなくなった歳になってしばらくすると、日々の中で「これは覚えておこう」と意識する瞬間が減る。むしろ、覚えていてもいなくても、どうでもいいことばかり。しかし、その何でもない今の記憶の詳細さが、年老いた時の私の“住処”となるのであれば、今すぐ日々のことを筆にしたためるなどして、何らかの方法で残したいと強く感じた。涙なしでは観られないクライマックスを含め、『ファーザー』は間違いなく日々の捉え方に変化を与えてくれる傑作だ。緊急事態事態宣言という状況下でなかなか難しいが、可能であればぜひ映画館でアンソニー・ホプキンスとオリヴィア・コールマンの名演技を堪能してほしい。

■公開情報
『ファーザー』
公開中
監督:フロリアン・ゼレール
脚本:クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール
原作:フロリアン・ゼレール『Le Pere』
出演:アンソニー・ホプキンス、オリヴィア・コールマン、マーク・ゲイティス、イモージェン・プーツ、ルーファス・シーウェル、オリヴィア・ウィリアムズ
配給:ショウゲート
2020/イギリス・フランス/英語/97分/カラー/スコープ/5.1ch/原題:The Father/字幕翻訳:松浦美奈
(c)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ORANGE STUDIO 2020
公式サイト:thefather.jp

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