“プリンス”山崎育三郎と“スター”古川雄大の深い縁 『エール』久志らのモデルとなった人物は?
「プリンス佐藤久志です!」
「どうも、スター御手洗ですっ!」
あまりの濃さに朝からステーキとモンブランを一気に食したような心持ちになった久志(山崎育三郎)と御手洗ミュージックティーチャー(古川雄大)の“発声練習対決”。NHK連続テレビ小説『エール』第13週「スター発掘オーディション!」での一場面だ。
ミュージカルの大舞台で活躍する山崎と古川のふたりが、現場でのアドリブを交えながら演じたというこのシーン。実際の舞台さながらにテンションを一段階上げ、デフォルメされたやり取りが明るい笑いを誘う。音(二階堂ふみ)を東京に送り出して以降、出番がなかった“ミュージックティ”だが、パワーアップしての再来に手を叩いた視聴者も多いのではないだろうか。
『エール』は音楽をテーマに置いた朝ドラということもあり、主人公の古山裕一(窪田正孝)と音夫妻をはじめ、音楽にかかわる多くのキャラクターにモデル、もしくはモチーフと思われる実在の人物が存在する。双浦環(柴咲コウ)のモデルは日本オペラ界の草分け・三浦環だし、音と「椿姫」のヴィオレッタ役を争った夏目千鶴子(小南満佑子)は37歳で自ら命を絶った悲運のプリマドンナ・関屋敏子がモチーフだろう。
では、コロンブスレコードの新人発掘オーディションで、レーザービームを飛ばし合いながら、アツく濃い“対決”を繰り広げた久志と御手洗は誰をモチーフにしているのか。
佐藤久志のモデルは伊藤久男。福島の裕福な旧家に育ち、音楽の道に進むことを実家に反対されたためカムフラージュで東京農大に進学。その後、帝国音楽学校に入学し直し、古関裕而(=裕一のモデル)の薦めでコロムビアレコードからプロデビューする。
昭和10年代前半からは戦時歌謡(軍歌)を多くレコーディング。途中、オペラ歌手への転身も考えるが、中国戦線の日本軍部隊を訪れた際、自分の歌に涙を流す兵隊の姿を目の当たりにして流行歌手の道を選択。このあたりは歌手として芽が出ない久志が夜の店でオペラを歌い罵倒された後に「船頭可愛いや」を歌い直し、「いい歌だった、なんだかグっときた。おかげで明日も頑張れるよ」と親子から手渡された一銭玉を大事に握りしめるドラマ内のエピソードに繋がる気もする。
軍歌で世間に広く認知された伊藤久男は、その後も古関裕而作曲の楽曲をはじめ多くのレコードを出すが、戦時歌謡を多く歌い、軍に協力したとの責任感から戦後しばらくは疎開先にひきこもって酒におぼれる日々が続く。そんな彼が再び世に出たのは1947年。映画の主題歌でカムバックを果たし「イヨマンテの夜」「ひめゆりの塔」などのヒット曲を連発した。
プライベートでは酒が好きで豪放磊落と言われた反面、極度の潔癖症で閉所恐怖症の気もあったらしい。若いころの写真はかなりのイケメンで、久志がオーディション用に撮った写真とも面差しが似ている。また2回の結婚のうち、最初の妻はコロムビアレコードで活躍した芸者歌手・赤坂百太郎で、再婚相手は元宝塚歌劇団娘役の桃園ゆみか。華やかに活躍する美人に惹かれるタイプだったと思われる(そういえば久志もずっと“芸者”にこだわっていた)。