ジョーカー、サノス、ヴェノム……アメコミ映画の隆盛とともに勢いを増す“ヴィラン”という存在

忘れてはならない『ミスター・ガラス』

 盛り上がりを見せるアメコミ映画は、「何を描くか」を次々と模索しながら、カウンターとしてのヴィランを設定していく。新しいエンターテインメントの形を印象付けたいのであれば、その可能性と彩りを奪う存在を。フィクションを応援する観客の心を今一度掴みたいのであれば、虚構を操り悪夢を見せる造形に。そうして、アメコミ映画がジャンルとして成長すればするほど、ヴィランもまた、呼応するようにその目を光らせていく。

 多くの作品が語るように、ヒーローはヴィランがいなくては成り立たず、その逆も然りである。光の活躍が重なれば、自ずと闇への需要も高まっていくのだ。ジャンルや観客が求めるからこそ、ヴェノムは豪快に暴れまわり、ジョーカーは社会の歪みを取り込みながら顔を白く塗る。様々なヴィラン像が求められ、絶え間なく供給、そしてヒットに繋がっていくこのストリームは、アメコミ映画というジャンルの肥大化、その偉大なる歴史の影に相当すると言えるだろう。我々観客は、無意識にバランスを取っているのかもしれない。

 また、2019年で忘れてはならないのが、M・ナイト・シャマラン監督による『ミスター・ガラス』だ。

 2000年の『アンブレイカブル』と2016年の『スプリット』、その双方の続編かつ完結編に位置する本作は、アメコミの世界観をもう一段階上のメタフィクションで解釈した。コミックの様式美やパターンを踏襲しながら、「コミックの世界」ではなく「コミックがもたらしてくれたもの」を描く。同作のヴィランの造形は、アメコミを愛好する者へのメッセージを軸としており、そのシンプルかつ力強い想いに胸を打たれた人は少なくないだろう。ヒーロー映画史に間違いなく刻まれるであろう、この2019年において、『ミスター・ガラス』を外すことはできないはずだ。

『ミスター・ガラス』(c)Universal Pictures

 週刊少年ジャンプで連載中の『僕のヒーローアカデミア』では、ヴィランという呼称が度々用いられる。アメコミ映画の拡大もあり、そのワードは、今や広く市民権を得るようになった。ネットでも、ヴィランという表現を目にすることが格段に増えた。近年のヴィランがその勢力を増したように感じるのであれば、それは、アメコミ映画の隆盛が先にあったからだろう。ヒーローの活躍の影にヴィランあり。コミックがもたらしてくれたこの「両輪」は、相互に影響を及ぼしながら回転を速めていく。

 とどまるところを知らないアメコミ映画のジャンル拡大は、間違いなく、ヴィランの拡大をも意味しているのである。作品のテーマを体現しているのは、むしろ、この愛すべき悪党たちなのだ。

■結騎了
映画・特撮好きのブロガー。『別冊映画秘宝 特撮秘宝』『週刊はてなブログ』等に寄稿。
ブログ:『ジゴワットレポート』Twitter

■公開情報
『ジョーカー』
全国公開中
監督・製作・共同脚本:トッド・フィリップス
共同脚本:スコット・シルバー
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved” “TM & (c)DC Comics”
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

関連記事