『いだてん』が描いた“面白いこと”のための東京オリンピック 14年間を1話で描く猛スピード展開

 10月27日に放送された『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。日本の敗戦から14年もの間、田畑政治(阿部サダヲ)は東京オリンピックの招致活動に全力を尽くしてきた。政治の壮大な夢が叶う瞬間が猛スピードで描かれる回となった。

 物語は五りん(神木隆之介)の前座から始まる。第39回で、五りんの父親が小松勝(仲野太賀)であることがはっきりと明かされた。播磨屋で辛作(三宅弘城)から足袋を受け取る五りん。「足の形が親父そっくりで、作りやすかったよ」と辛作は言った。金栗四三(中村勘九郎)が、そして小松が履いた足袋を五りんは受け継いだ。五りんはオリンピック選手にならなかったものの、“オリンピック噺”の襷をつなぐ者として彼らのように駆け出した。

 時は1959年、東京オリンピック開催の5年前に遡る。政治がNHK解説員の平沢和重(星野源)にIOC総会での最終スピーチを引き受けてもらうため説得している最中だった。「オリンピック開催は時期尚早だ」と否定的な平沢に向けて始まったのが、“田畑政治のオリンピック噺”だ。

 1945年、政治は米軍に接収された明治神宮外苑競技場へやってきた。変わり果てた競技場を茫然とした表情で眺めていた政治だが、ポケットからストップウォッチを取り出すとその目に光が差す。そのストップウォッチは、治五郎(役所広司)から政治に託されたもの。バー「ローズ」で東龍太郎(松重豊)、松澤一鶴(皆川猿時)と再会した政治は「俺はこの東京でオリンピックをやる」と断言した。

 バイタリティに満ち溢れる政治の行動は猛スピード。生き残ったオリンピック関係者15名を集めて「体育協会」を復活させると、さっそく若い選手の育成に励む。1948年に開催されたロンドンオリンピックに日本は出場できなかったが、政治はオリンピック参加を諦めない。「出場できないなら、同日同時刻に日本でやればいい」と「裏オリンピック」を開催。その後、政治はマッカーサーに直談判すると、日本の国際競技連盟への復帰と、全米水泳選手権への招待をも叶えてしまう。

 1952年のヘルシンキオリンピックで、日本は戦後初めてオリンピックに参加。水泳の結果は芳しくなかったが、政治は夢を叶えるヒントをヘルシンキの組織委員長から得ていた。

「オリンピックは金儲けになる」

 一見すると“平和の祭典”とつながらない台詞のように見えるが、この言葉には続きがある。「敗戦国である日本が、文化国家として立ち上がるために、オリンピックを利用するのはなんら恥ずかしいことではないぞ」。裏オリンピックのおかげで、戦後落ち込んでいた人々の心は明るくなった。「スポーツの持つ力が、戦後の日本を変える」そう信じている政治だからこそ「金儲けになる」の言葉も嫌味なく聞こえるのだ。

 グイグイとオリンピック招致に突き進む政治。その力強い行動力は、どこか治五郎を感じさせる。IOC総会の開催が東京に決まると、政治は治五郎の思いや関東大震災、学徒出陣などの思い出が詰まった「明治神宮外苑競技場」を潔く「国立競技場」へと生まれ変わらせる。完成した国立競技場はIOC委員たちの心を射止め、東京への招致が一歩、また一歩と現実に近づいてくる。

 強引だが人々に愛されていた治五郎のように、政治もまた、政治を支える人たちから信頼されているのだとわかるシーンがあった。政治の熱意に押し切られ、都知事に立候補することになった東だが、家族から反対される。けれど東は「やらずに後悔するぐらいなら、晩節を汚してでも俺はこの東京にオリンピックを開きたいんだよ!」と秘めていた思いを打ち明けた。菊枝(麻生久美子)もまた「田畑の夢は、田畑一人では叶えられないんです。どうか力を貸してください」と東の家族に頭を下げる。せっかちな政治は誰よりも突っ走ってしまうが、そんな政治を皆が応援しているのだ。

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