『ヴェノム』続編監督にふさわしい!? “モーションアクター”の第一人者、アンディ・サーキスの可能性
そんなサーキスが、初めて長編映画の正式な監督として撮り上げた作品が、自身のプロダクション共同経営者の、難病を患った家族の物語を映画化した『ブレス しあわせの呼吸』(2017年)だった。難病により身体のほとんどが動かせなくなった人物の苦痛や希望を、アンドリュー・ガーフィールドが熱演している作品だ。その演技にモーションキャプチャーはもちろん使用されないが、ベッドに寝たきりになって声を発することもできず、長く生きられないと言われた主人公が、様々な技術や周囲の助けによって人生の楽しみを取り戻していく姿は、テクノロジーによって身体の可能性を広げることになったサーキスの境かつ遇と近いところがある。
モーションキャプチャー技術を利用することで、演じたい役柄と容姿が異なるという問題を超越することができる。サーキスはアメリカのメディアで、それによって演技の可能性が広がることを、「問題は、それが倫理的に正しいかどうか」と付け加えた上で、「白人以外の人種の俳優がリンカーン大統領を演じることができるし、白人である私も、キング牧師を演じることができる」と語っている。人種にまつわる部分については、もちろん歴史を踏まえた判断が必要になるが、技術によって純粋な演技力で俳優が評価される未来が実現可能であることはたしかなのだ。
サーキスが続編を撮ることになった『ヴェノム』は、主人公が邪悪な見た目の地球外生命体 “シンビオート”に、ときに身体を乗っ取られたり、ときに協力し合いながら、より強大な悪と戦うという内容だった。おそろしい姿の生命体を纏(まと)うという、かっこよさのなかに、どこか“中二病”感漂う雰囲気が愛らしい。
面白いのは、第1作ではモーションキャプチャーが使われず、グリーンバックすら基本的には使用しないスタイルで、実写そのものにCGを加えていくという製作方法である。仮にこの手法をそのままに踏襲するのならば、サーキスの代名詞が活かされないのではという見方ができる。
だが『ヴェノム』における、“他者の力によって自分の可能性を広げる”という感覚や、“自分がいままでの自分でない”、しかし“それでもそれは自分たり得る”という、作品にとっても重要な要素は、『ブレス しあわせの呼吸』同様に、サーキスのキャリアと本質的な部分で合致するのではないか。
姿の異なる自分という、一種の哲学ともつながっていくような存在を、真に実感をともないながら考えてきた映画監督は、アンディ・サーキス以外にいないだろう。その経験や能力をフルに活かすことができれば、『ヴェノム』続編は画期的な作品になるのではないか。サーキスが新たに、魂をCGに込め、新たなヴェノムを表現してくれることを楽しみにしている。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
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