大根仁が大河ドラマにもたらしたものとは? 『いだてん』「前畑がんばれ」の裏側を解説

 オリンピックに関わった様々な日本人の姿を描いた大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)。第36回「前畑がんばれ」は1936年のベルリン五輪の200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した前畑秀子(上白石萌歌)の奮闘を描いた物語だ。

 ラジオ実況を担当したNHKの河西三省(トータス松本)が「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」と繰り返し絶叫した逸話が今でも語り草となっているベルリン五輪だが、同時にヒトラーとナチスのプロパガンダに利用されたオリンピックとしても知られており、第二次世界大戦へと世界が向かっていく不穏な気配が強く漂う仕上がりとなった。

 この度、リアルサウンド映画部では、演出を担当した大根仁と制作統括の訓覇圭に話を伺った。

 女性陸上選手・人見絹枝の苦悩と活躍を描き『いだてん』屈指の傑作回となった第26回「明日なき暴走」を手掛けた大根が、同じ女性アスリートの前畑秀子をフィーチャーした回を担当することになった第36回だが、「前畑がんばれ」という難しい題材に対し、どのような気持ちで挑んだのか?(成馬零一)

ヒトラーを描くということ

――ベルリン五輪とヒトラーを描くにあたって、気をつけたことを教えてください。

大根仁(以下、大根):ヒトラーの演出は悩みました。この当時のヒトラーは国民から圧倒的な支持を得て首相になったわけですから、戦後の僕らの感覚で悪魔のように描くのは違うんじゃないかと思い、当時の文献を読んだり資料を調べたうえで、人間味が出るように演出しました。

訓覇圭(以下、訓覇):ベルリン五輪がヒトラーとナチスのプロパガンダだったことを、当時の日本人選手がどの程度、理解していたのかは興味がありましたがなかなか分かりませんでした。「ハイル・ヒトラー」という敬礼が日本選手団の間で流行っていたとは資料に書かれていたのですが、ドイツに対して日本がどの程度親しく感じていたのかがはっきりとわかる資料があるわけでもない。

 日本代表選手たちがヒトラーと面会したという記録がありました。僕らが一番知りたかったのは、ヒトラーと面会した際に選手たちが何を話したのかですが、会話の内容までは残っていないわけです。ですから、選手たちのベルリン五輪に対する温度などは史実資料をふまえて「こういう空気だったのではないか」と僕らなりに想像して作りました。ヒトラー役の役者をドイツから呼んでちゃんと演じてもらうということも、『いだてん』にとってはとても大事なことでした。

大根:ヒトラーは強烈な存在で、誰もが思い浮かべるイメージがあります。日本にいるドイツ人でオーディションすると、私たちが描きたい当時のイメージと合致する俳優を探すのが難しいと思ったので、コーディネーターにお願いして、ドイツで俳優を探してもらいました。ドイツはヒトラー役をよく演じている俳優が何人もいて、その方たちの中からビデオオーディションでダニエル・シュースターさんを選びました。現場で刈り上げてもらい軍服の衣装を着て腕章を付けて動きをつけて立ってもらうと、すごい緊張感が走りましたね。彼自身は明るいドイツ人なんですけれど、僕たちの知っているナチスというフィルターをかけて見てしまうので、怖いなぁと思いました。

 田畑がヒトラーと対面して握手した際、田畑の動きがくしくも「ハイル・ヒトラー!」の敬礼になってしまうという場面は、当初、台本にはありませんでした。リハーサルで、ヒトラーの手を握りながら話した時に阿部(サダヲ)さんの手が偶然残ってしまい、例のポーズのようになってしまったんですが、身体がこわばって動けない様子が伝わると思って採用しました。「なにしてくれて、ダンケシェン」という台詞も一見ギャグとしか思えないかもしれませんが、阿部さんの表情や、張ってるんだけど声が震えている感じは、素晴らしいなと思いましたね。

記録映画『オリンピア』に負けないように

――ベルリン五輪は記録映画の映像と組み合わせたものですね。

大根:過去のオリンピックの映像が残っているので、『いだてん』では、記録映像と実写映像のカットバックで見せるという手法に、どの演出家もチャレンジしています。今回はレニ・リーフェンシュタール監督の『オリンピア』が使用されています。リーフェンシュタールの映画は演出が巧みで、このオリンピックのためにカメラやレンズも開発しており、今見ても見応えのあるしっかりとした映画なので、作品として負けないようにしようと意識しました。特にヒトラーの登場する場面については。逆に助かったのは、プールの大観衆の場面です。VFXで作ったのですが、記録映像をしっかり撮っていただいていることにより、臨場感も増幅しています。

――前回のロサンゼルス五輪とベルリン五輪では、画面の色味が違いました。

大根:ロス五輪は僕の担当ではありませんが、田畑の青春のピークで一番楽しかった時期のオリンピックでした。同時に舞台が西海岸ということでカルフォルニアの青い空が持つ、明るい印象が強く出ていますね。それに対してベルリン五輪は、田畑から見たベルリンオリンピックに対する心象を色のトーンで現しています。あと、実は同じプールで撮っているので、その差をつけないとバレちゃうってところもあったかもしれないです(笑)。

――水泳の場面は、とても見応えがありました。

大根:スピード感があって力強く泳いでいるように見せるのは大変でした。陸上競技における走っている場面は、決して楽ではないのですが、背景の変化や表情の変化や汗をかいている場面でフィジカルを表現することができます。でも、水泳の場合は、基本的に同じコースをずっと泳いでいるし、汗もかかないし、表情もわかりづらいので、どうフィジカルに見せるかがとても難しかったです。ですので、前畑さんを演じた上白石(萌歌)さんには、水泳選手に見えるフォルムを作っていただきました。本人も役が決まった時に自分の線の細い体ではメダリストには見えないと思ったそうで、体重を7キロ増量し、日サロに通い、水泳の特訓をしました。だから現場では「がんばれ」としか言えないというか、撮りながら「がんばれ」と思っていました。ドイツの水泳選手のマルタ・ゲネンゲルさんを演じた女優さんは、水泳をやっていて大きな大会で記録を残しているような人だったので、彼女と拮抗する同じぐらいのスピードで泳いでもらうのが、大変でしたね。

――上白石さんの演技も素晴らしかったです。

大根:上白石さんは、本当に頑張ったと思うのですけれど、一番感激したのは決勝レース前夜の亡き両親との場面ですね。今回は本当に難しい回で、最初に本を読んだ時は、どう撮れば、「がんばれ前畑」にリアリティを持たせることができるのだろうかと、本当に悩みました。この超展開に説得力を持たせて感動に持っていける演技ができるというのは、本当にすごいことだと思いました。

――大根さんは女優を魅力的に撮ることに定評がありますが、第26回「明日なき暴走」に続き、今回の「がんばれ前畑」も、日本のスポーツシーンを代表する女性のアスリートの活躍を描いた回でしたね。

大根:人見絹枝さんの回は、僕も手応えがありましたし、菅原小春という女優の誕生する瞬間に立ち会えて、演出家として嬉しく思っています。ただ、女性アスリートを二度も撮るとは思っていませんでした。しかも「前畑がんばれ」は、戦前のオリンピックで唯一、ほとんどの日本人が知っている有名なエピソードです。ベルリン五輪、しかもヒトラーが登場するというドラマ全体の中でも重要な回を、よくぞ外部の僕に任せてくれたなと思いました(笑)。女優を撮るのが上手いとおっしゃっていただきましたが、今までの作品は恋愛描写が中心だったので、アスリートとして女優を描くということはやったことがなかったので、こういう作品が撮れたことで、演出家としての自信がついた気がしますね。

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