『僕らは奇跡でできている』高橋一生は主役ではなく“鏡”の存在? 一風変わった作風の意図を読む

 高橋一生初主演の民放ゴールデン・プライム帯連続ドラマ『僕らは奇跡でできている』(火曜21時~/カンテレ・フジテレビ系)が、視聴率は芳しくないものの、一定層からの評価をジワジワと高めている。

 大きな出来事も起こらなければ、ドラマティックな展開も、派手な演出もない。山も谷も、緩急もない、淡々としつつも穏やかな物語には、退屈さを感じる人もいるだろう。恋愛モノ、法律&企業モノ、バディモノなど、定番ジャンルが揃う今秋ドラマにおいて、どこにも属さない不思議な味わいを持つ。

 脚本を担当しているのは、『僕の生きる道』シリーズ(カンテレ・フジテレビ系)などの橋部敦子。高橋演じる主人公・相河一輝は、動物行動学の大学講師であり、自分の興味のあることに没頭するあまり、空気が読めず、人との約束やルールを守れない人物として描かれている。

 強いこだわりの持ち方、他者との接し方など、一輝の言動はいわゆる「普通」や「常識」からは逸脱している。しかし、ドラマではその一輝の性格に関する背景などは特に説明されておらず、最初から「そういう人」として登場する。にもかかわらず、このファンタジーにも思える世界観が視聴者に受け入れられてきているのは、高橋が演じるからであり、起用法の巧みさがあるだろう。

 実は放送開始前の不安は、「主演・高橋一生」ということだった。もちろんキャリアにも演技力にも何の不安もない。しかし、高橋には『民王』(テレビ朝日系)で演じた有能で冷静なキレ者&童貞の総理大臣秘書・貝原茂平や、『カルテット』(TBS系)で演じた妙なこだわりを持つ「面倒くさい男」家森諭高をはじめとして、「自分が見つけた」感を視聴者に抱かせてくれる部分がある。

 感情の表出を抑えた独特のズレ感・不思議な「間」は、実は巧みに計算されたものなのだが、王道路線ではないだけに「主役よりも、脇で見たい」と考えるファンが多いからだ。

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