『ハン・ソロ』なぜ賛否渦巻く結果に? 良い面と悪い面から考える、その魅力と問題点

シリーズに取り戻した“骨太な”魅力

 エピソード7は、『スター・ウォーズ』旧三部作ファンのための作風であり、エピソード8は、それを打ち破ろうとする変革的な意志を感じるものだった。それらは対称的な意味を持ちながらも、ファン目線の感覚をベースとしているという意味では、いずれも同質の作品といってよい。ロン・ハワード監督は、おそらくそのようなファン心理を持ち合わせていないため、作中でファンを喜ばせるような描写をしたとしても、あくまでそれらは作家性とは関わりなく、観客へのサービスとして提供しているに過ぎない。その姿勢はファンから距離をとりつつ、その代わりもっと広い観客に対応していると感じられる。そしてそれは、本来『スター・ウォーズ』が持っていた骨太さではないだろうか。

 その一方で、本作はあまりにドライ過ぎると感じるところも多い。ここで熱をもって描かれるのは、あくまで「西部劇」の要素であり、ある女性とのほろ苦い関係を通し世間を学ぶことで、純粋な青年が“ハン・ソロ”となっていくまでの、内面的成長である。

 『スター・ウォーズ』旧三部作が、様々な価値観を持つ人々によって、これほど支持されているのは、作品のなかに骨太な主題と、度を超えたディテールへのこだわりが同時にあったためだ。一つの作品のなかに多様な価値観があり、どんな角度からも語り得ることができる。だから、それぞれの観客のなかにそれぞれの『スター・ウォーズ』が存在するのだ。そしてそれら幅広い価値観を理解し統率していたのが、ジョージ・ルーカス監督だった。それに比べると、ロン・ハワード監督含め、ディズニーが用意した今までの監督は、あくまで本来シリーズが持っていた魅力の多くを、同時にすくい出すまでの仕事はできていないように感じられる。

スケールの不足した『スター・ウォーズ』

 ここまで述べてきたような問題に比べ、もっと次元の低い問題も、本作『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』には存在する。それは、全体のなかで映像のクオリティーの高い部分と、低いと思われる部分が混在してしまっていることだ。

 例えば、雪に覆われた惑星での、ロケとCGを組み合わせた映像は美しくスケール感があり、列車強盗でのアクションは楽しい。物資を高速で運ばなければならない、緊迫したシークエンスにも計算された娯楽性を感じる。その反面、奴隷が働く鉱山のある惑星でのアクション、とくにミレニアム・ファルコンが飛び立つまでの攻防は、敵と味方を交互に映すなど、カメラの動きが制限されていることで、不自由な撮影状況が伝わってくる。 犯罪組織の首領の部屋でのサスペンスも、またクライマックスの戦闘における、私設軍隊といいながら、あまりにも少なく感じる敵の数にしても、いわゆる「職人監督」による、余裕のない製作状況をごまかすようなテクニックがふんだんに使われることで成立しているように思われる。本作がアウトローの運び屋の物語だということを差し引いたうえで、それでも『スター・ウォーズ』にあるまじきスケール感の欠如を感じてしまうのだ。

 本作の制作費は、推定で3億ドルといわれている。これは超大作が3本は制作できる予算だ。しかし本作からは、とくに肝心のクライマックス部分において、そこまで大金をかけているという印象は受けない。それはやはり、例によって「監督交代」が行われたという事情が大きいだろう。

監督交代、撮り直しの影響

 本作は当初、『LEGO(R)ムービー』などで評価されたフィル・ロード、クリス・ミラー監督が抜擢されていた。しかし発表されているように、スタジオと監督の間での「創作上の意見の相違」から、彼らは降板を余儀なくされ、新たな監督ロン・ハワードは、7、8割もの再撮影を行ったのだという。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』でも、他の監督を呼んで大規模な再撮影が行われたが、今回はもはや映画を二本ぶん撮っているといっても過言ではないだろう。

 問題は、制作が遅延したことで、撮影・編集を短時間のなかで行わなければいけなかったということであろう。そう思えば、そのなかでこれだけの質を維持することのできたロン・ハワード監督の手腕には驚嘆すべきところがある。だが、それはあくまで一般的な娯楽映画における職人的テクニックであり、他の娯楽大作とは区別されるべき「特別」なものでなければならなかったはずの、ディズニーの『スター・ウォーズ』シリーズで行われるようなものではなかったのではないだろうか。監督がここまで追い詰められてしまったことそのものが、本作の最も大きな問題であるだろう。その「スペシャル感」の不足が、興行成績不振に全く関係がなかったとは思えない。

 前述しているように、このような事態は初めてではない。ディズニーによる『スター・ウォーズ』シリーズには、あまりにも監督交代、撮り直しなどのトラブルが多すぎる。それがクオリティーを増す方向に進めば良いのだが、今回のように、複数のシーンを突貫的に撮らねばならないような事態に陥ったというのは、明らかにマイナスであろう。また、本来使われるべき予算が、結局日の目を見ることのない撮影などに分散されているとすれば、会社はもとより、作り手や観客の不利益にもつながってくる。

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