殺人鬼カップルのメチャクチャさについていけない! 『ハネムーン・キラーズ』と『地獄愛』
あけましておめでとうございます。年始から殺人の話で恐縮ですが、今回はアメリカの犯罪史に残る殺人鬼カップルを扱った映画をご紹介しようと思います。
殺人鬼といえば単独犯のイメージが強いですが、なかなかどうして、夫婦やカップルで殺っちゃう例も少なくありません。現代の日本でも年に1回は男女コンビが事件を起こしている印象があります。今回ご紹介する殺人鬼もカップルなのですが、これがちょっと特殊な関係にあります。
2人の殺人鬼……伊達男のレイと、中年女性マーサは雑誌の文通コーナーで知り合いました。手紙を送り合うこと数回、遂に2人は結ばれます。しかし、レイは寂しい女性を狙う結婚詐欺師だったのです。もちろんマーサもカモの1人。これほど最悪の出会いもないと思いますが、ところが人間とは不思議なもので、2人は本当に愛し合ってしまいます。レイは結婚詐欺を続け、マーサは彼の仕事を手伝います。しかし、マーサはレイが他の女を抱くのを許せず、妹を名乗ってレイについて回り、レイと女が良い雰囲気になるたび癇癪を起こすのでした。そんな女が相棒ではマトモに詐欺が出来るわけありません。普通に考えればレイはマーサを切るべきなのですが、なぜかレイはマーサと行動を共にします。愛ゆえに狂ったのか、元から狂っていたのか。ともかく2人が理性的/合理的な判断ができなかったのは確かです。犯行に歯止め利かなくなり、ケチな結婚詐欺から殺人にステップアップするのも当然でした。2人は女を騙しては殺し続け、数十人を殺害した後に逮捕。最後は仲良く電気イス送りになったのでした。
非常に倒錯した事件ですから、フィクション的には美味しい題材です。今まで何回か映画になっていて、今回ご紹介するのはその古典と最新作。まずは古典verである『ハネムーン・キラーズ』(70年)からいきましょう。こちらはマーサの心に重きを置いており、鬱屈した女性の哀愁溢れる暴走劇に仕上がっています。過干渉の母親、嫌な職場、そして食べすぎ太りすぎな自分への自己嫌悪。こういったストレスに縛られていたマーサが、愛ゆえに自由奔放(傲慢とも言う)な殺人鬼へと変貌していく様は圧巻です。演じるシャーリー・ストーラーは本物同様に大柄で、見た目のインパクトも抜群。基本的に物語は(1)カモにする女と出会う→(2)レイが女とイチャつく→(3)マーサがキレる→(4)殺人が行われる、という構成になっており、マーサが不機嫌になるや「来るぞ来るぞ」という時限爆弾のような緊張感が生まれます。そんな暴力的な映画ではありますが、マーサが溺れ死にしそうになって幻聴を聞くシーンは何とも言えない哀しみに溢れ、観る者の涙を誘う一幕も。監督はオペラ作曲家という異色の監督レナード・カッスル(ちなみに監督作品はこれ1本です)。全編白黒映像などの実験的な試みをする一方、殺人シーンにドジャーンと派手な音をつける分かり易さも印象的です。まさにカルトの名に恥じない1本でしょう。
続いてご紹介するのは最新作『地獄愛』(14年)。こちらは事件の流れはそのままに、舞台を現代のヨーロッパに移しています。文通コーナーも出会い系サイトに変わり、いわば『忠臣蔵』(58年)と『47RONIN』(13年)みたいな関係でしょうか。それはともかく、本作最大の注目点は監督がファブリス・ドゥ・ヴェルツであることでしょう。この人は『変態村』(04年)、『変態島』(08年)など、エクストリームな表現に定評がある監督さんです。そんな人にセックスと暴力に塗れたこの題材を与えるのは、塩素系と酸性の洗剤を混ぜるようなもの。『ハネムーン~』は(時代のせいもあって)直接的描写は少ないのですが、こっちはガンガン見せていくスタイルになっています。オープニングが全裸の死体で、開始十数秒で嫌な予感が全開です。ヒロイン(?)のグロリアを演じるロラ・ドゥエニャスさんは、ぱっと見こそ『ハネムーン~』のシャーリー・ストーラーほどインパクトはありませんが、ガンギまりの笑顔は大変恐ろしく、情緒不安定さでもシャーリーに勝るとも劣りません。ただ、突然ミュージカルが始まるなどメタな視点が入っており、劇中キャラクターの「哀愁」より、監督の「悪意」が前に出ているのは評価が分かれるところです。この違いが2本の印象を決定的に違うものにしています。