映画『関ヶ原』が描く新しい歴史観ーー岡田准一演じる石田三成の人物像は妥当か?

 戦国時代最大かつ天下分け目の合戦、「関ヶ原の戦い」。豊臣秀吉の死から2年、武将たちが「西軍」と「東軍」に分かれ、いまの岐阜県西端に位置する“関ヶ原”で雌雄を決した。この勝敗の結果がもし変わっていれば、いまの日本とは全く違う歴史、全く違う都市機能が生まれていただろう。意外なことに、日本映画としてその戦いをメインに据えて真正面から描いたのは、本作『関ヶ原』が初めてだという。

 司馬遼太郎による原作小説『関ヶ原』は、上、中、下、三巻に及ぶ長編だが、興味深いことに、実際に戦いそのものを描いているのは、下巻の一部分のみである。それは、この戦いを描ききるためには、その前提である勢力の状況や地理的条件、各々の事情や政治的な駆け引きなどという背景部分を細かく描写しなければならず、むしろ「そっちこそが本質部分だ」と考える、作家的な信念や野心の反映だろう。

 そのような背景描写への熱意というのは、社会の暗部を取材したドキュメンタリー作品だったり、リアリティを追求したシミュレーションゲームを構築するような感覚に通じているように感じられる。こういった映画化作品には前例があって、同じ東宝で1994年に撮られた、市川崑監督の『四十七人の刺客』は、何度も映画の題材になった『忠臣蔵』の討ち入りまでを、原作にも従って、やはりゲームのような知的な駆け引きとして描き直し、大人の好奇心をくすぐる新しい時代劇映画を完成させている。1964年に書かれた司馬遼太郎の『関ヶ原』は、その原型にあたる。

 それだけに、ゲームの駒ともなる大勢の登場人物が複雑に入り乱れる物語を、限られた上映時間内で整理しながら進行させていかなければならない本作の監督を、『金融腐蝕列島 呪縛』や『日本のいちばん長い日』(2015年版)などで、入り組んだ群像劇を撮った実績がある原田眞人が務めるというのは妥当だといえよう。

 本作のカット数はきわめて多く感じる。一つのシーンのなかでも目まぐるしくカメラアングルが切り替わり、移動撮影もよく見られる。それが軽快なリズムを作り出し、静的な会話シーンの多い場面に、カメラの側からの躍動感を与えている。このあたりの演出が、ポリティカルな群像劇を撮るときの一つのコツであろう。

 とはいえ、やはり映画では時間的な制約によって、どうしてもエピソードの大半を削らねばならない。本作は、あくまで岡田准一が演じる「西軍」石田三成を中心に据え、石田三成の腹心となる島左近(平岳大)との友情や、役所広司が演じる徳川家康の謀略を並行して描いていく。映画ならではの見どころとして、有村架純演じる“初芽”と三成の恋愛部分を膨らませている部分もある。

 奇妙なのは、かなりタイトな内容にも関わらず、原作の冒頭に書かれた、さして本筋には関わってこない“筆者(司馬遼太郎)の思い出”部分は、何故か丁寧に映画に組み込まれているという点である。その冒頭の場面で、町のおとなたちに「かいわれさん」と呼ばれている老人が、滋賀県の寺の縁側で、少年時代の司馬遼太郎に、こう語りかける。

「いま座っているここに、太閤さん(豊臣秀吉)が腰をおろしていた。鷹狩りの装束をなされておった。その日も夏の盛りでな。今日のように眼に汗のしみ入るような日中やった」

 この老人は数百年前のことを、まるで「見てきたかのように」話すのである。それはまさに、時代小説家・司馬遼太郎のスタンスそのもののようでもある。司馬の作風は、膨大な史料をもとに綿密な時代考証を行うところにあるが、同時に、エンターテインメントとしての要素も強く、歴史上の登場人物が、いきいきとその場にいるように書かれる。それは人物像やエピソードを、司馬が大胆に創作したからである。もちろん、時代小説というのは基本的にそのようなものだが、それが本物の史料からくる深い知識と混ぜ合わされることで、あたかも全てが史実であるかのようにリアリティを持ってしまうのだ。

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