70年代アメリカを再現した強烈な臨場感ーーHBO製作『クォーリーと呼ばれた男』の衝撃

 ハードボイルド、ノワール、クライム、バイオレンス、アクション——。このドラマを形容しようとすれば幾つもの言葉が浮かぶ。だがピタリと当てはまるものはひとつもない。それほど本作には既存の概念でカテゴライズできない“強烈さ”がある。心の芯部にグサリと突き刺さり、引き抜こうとするほど、ますます深みに達し身動きできなくなる感触。極度なまでにドライ。ストイック。甘さいっさいなし。

 スター・チャンネルが5月に独占放送を開始する『クォーリーと呼ばれた男』はその妥協なきクオリティゆえに映画ファンを唸らせること間違いなしのシリーズである。原作を手がけるのは『バットマン』のコミック・ストリップや『ロード・トゥ・パーディション』の原作となるグラフィック・ノベル、さらにテレビドラマのノベライズや推理小説の執筆で知られるマックス・アラン・コリンズ。時代特有の空気や傷跡をふんだんに盛り込む彼の作風はここでも健在だ。

その映像の濃密さに圧倒されっぱなし

 

 時は1972年、ベトナムの地獄から戻った帰還兵マック(ローガン・マーシャル=グリーン)は、懐かしの故郷メンフィスに降り立ち、愛する妻ジョニ(ジョディ・バルフォール)のもとへ急ぐ。

 しかし世の中は一変していた。反戦ムードが高まり、特にマックたちには戦場で虐殺に関与した疑いもかけられ非難が集中。就職したくても門前払いを食らい、どこへ行っても白い目で見られる毎日。そんな苦悩を全て見越したかのようなタイミングで怪しげな男(ピーター・ミュラン)がやってくる。

 「ブローカー(仲介人)」と名乗る彼は、破格のギャラを条件に殺し屋となることを提案。固辞していたマックだったが、やがて逃れられない泥沼へと引きずり込まれ、ついに最初の殺しに手を染めることに。そうやって名付けられた彼の新たな名前は、クォーリー(石切場)——。

 帰還兵。虐殺に関わった疑いあり。殺し屋。今やそんなアンチヒーローな主人公のあり方も目新しいものではなくなった。そのような中で本作は、決して目新しさやわかりやすさを押し出すような軽々しい手段はとらない。むしろ忍耐強く「状況」をじっくりと映し出して、そのパワフルな気風と迫力で視聴者を飲み込んでいく。

 そもそも第1話の開始早々、その特殊性は明るみとなる。数分間にわたって全くセリフがなく、何が起こっているのか、このシーンがどこにつながるのか、観る者には一向に分からない。水辺。横たわる男。そして銃声。ドラマの「掴み」部分としてはあまりに硬派で無骨。だがこのシーンを通過儀礼のように全身に浴びることで、誰もが作り手のやろうとしていることを理解し、興味関心を覚え、そこに身を委ねたいと思うのではないか。そうやって視聴者と作り手との「共犯関係」が始まっていく。こうなるともう本作の魅力から逃れられない。

 

 本作の監督を手がけるのは『Dr. HOUSE—ドクター・ハウス—』でエミー賞を受賞した経験を持つグレッグ・ヤイタネス。『LOST』や『プリズン・ブレイク』でも腕をふるってきたこのベテランの演出はさすがに他とは筆圧がまるで違う。俳優らに複雑な動線をたどらせ、カメラがその感情の変化をつぶさに映しとり、さらにそこから針が振り切れたように血も涙も無いアクションやバイオレンスへとなだれ込む。時には果敢に長回しなども取り入れながら、エピソードごとに緩急の呼吸を全く変え、臨場感あふれる状況を作り出す彼。

 そのハイ・クオリティな要求に応えて体を張った演技を魅せる主演のローガン・マーシャル=グリーンや、その妻ジョニ役のジョディ・バルフォールを始め、細部に至るまでのすべての役者が妖しく輝き、珠玉のドラマを生み出していく。この化学反応には一瞬たりともムダがなく全8話あらゆるシーンにおいて目が離せない。

70年代のカルチャーや史実をふんだんに盛り込んだ世界観

 

 そもそも「クォーリー(quarry)」は「石切場」という意味を持つ。謎の男ブローカーは主人公マックの性格を「固く、そして脆くもある人間性」と評してこの名を与えるのだが、改めて辞書を紐解くとquarryは他にも「掘る」、そして「苦心して探し出す」といった意味を併せ持っているらしい。

 思えば70年代とは、人々が少なからず動揺し、長らく先の見えなさを覚える年代だった(それはどこか現代世界とも通じる)。ベトナム戦争を例に出すまでもなく、もはや善悪の境界線はおぼろげなものとなり、さらに本作ではテレビからミュンヘン・オリンピック事件の速報が流れ、地元では人種間の対立が浮き彫りとなり、大統領選では民主党議員ジョージ・マグガヴァンが声高にベトナムからの撤退を訴える(彼は結局、ニクソンに敗れた)。とあるシーンでは南部のプランテーション農場や屋敷、奴隷小屋などが映し出され、この国の歴史を縦軸と横軸で示唆しようとする試みさえ伺える。

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