脚本家・演出家/登米裕一の日常的演技論

『この世界の片隅に』は難しいテーマをどう伝えたか アニメだからこそ成立した「柔らかさ」と「深さ」

 若手の脚本家・演出家として活躍する登米裕一が、気になる俳優やドラマ・映画について日常的な視点から考察する連載企画。第14回は、のんがアニメ声優初主演を務め、スマッシュヒットを記録している『この世界の片隅に』について。(編集部)

 公開から2週間、映画『この世界の片隅に』が口コミで動員を増やし続けている。きっと年内はこの勢いがしぼむことなくロングランヒットするであろう。

 どうしてこの作品がこれほどまでに支持されるのか。その魅力について少し考えてみたいと思う。

 脚本を書く上で「難しいことはやさしく」「固いものは柔らかく」伝えることが大切であると教えられた。この映画は太平洋戦争の真っ只中、広島、呉で生活する主人公すずとその周りの人々の生活を丁寧に描いた作品である。戦争をテーマにした作品と言うとどうしても「難しく」「固い」イメージを持ってしまうのだが、すずが「ボーっとした子だと言われる」人物でもあり、作品の真ん中でとても「柔らかく」存在してくれる。

 すずが日々の生活を営んでいる姿は今を懸命に生きている私達とさほど違わないと思わせてくれる。難しくなく、とても微笑ましい。だからこそずっと観ていたいと思わせてくれる。けれど物語は誰もが知っている1945年の8月に向けて待ったなしで進んで行く。戦争と言う難しいテーマを優しく伝えるだけなら演説でも成立する。けれどこの作品にはやさしさとともに表現としての深さがある。戦争が始まる前の広島市にはクリスマス文化が存在し、モガ(モダンガール)が街を歩く。そしてそれらはやがて敵性文化として街から消えて行く。生活が変化して行く様子や人々の息づかいが実在感を持って伝わって来る。作り手の誠実な取材力が深い表現としてシーンに説得力を持たせてくれているのである。

この「柔らかさ」と「深さ」はアニメだからこそ成立した表現でもあるだろう。実写映画なら何のセットを建て、どのシーンを諦めるか、取捨選択を迫られていたのかもしれない。けどクリスマス商戦に沸く広島の街も、当時東洋一と言われて多くの軍艦が停泊していた呉の港も、焼け野原となってしまう街の様子も、アニメでは短いシーンでも入れることが出来る。鑑賞した人の多くはこの映画にテンポの良さを感じたと言っていた。それは片渕監督が必要だと感じたシーンが詰まっていたからではないだろうか。そして原作こうの史代さんの絵と、のんさんの声も、難しさと固さの中に柔らかく存在し、この映画が支持される要因となっていると言える。

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