日本の映画産業は大きな転換期に? 『この世界の片隅に』iTunes登場が問いかけるもの
11月12日に公開された片渕須直監督による最新作『この世界の片隅に』が話題だ。全国各地で満席が続出、わずか63館での上映でありながら週末興行ランキングで10位に入るなど、日本各地で熱狂を生んでいる。しかし、拡大上映が早くも決定しているとはいえ、未だ限られた地域でしか観ることができないのも事実。こうした状況を踏まえてか、早くもiTunesストアに配信ページが登録され、さらなる注目を集めている。
現在は「予約注文」の状態であり、配信日もまだ未定と発表されたが、配信ページが表示されただけでこれだけ大きな話題となったのも、作品を待望するファンの多さのあらわれだろう。
劇場公開とweb上での同時配信の事例としては、2013年に「1000taku」(参考:話題の新作4本が劇場公開と同時にネット配信&鑑賞料金1000円に)という企画があった。一般料金1800円の鑑賞料金を1000円に下げ、公開と同時に配信も行い、多くのユーザーに届ける試みであったが、その後この企画は行われていない。
「1000taku」が定着しなかった要因としては、作品自体の力も多分にあるだろうが、2013年当時、スマホ・タブレットなどを通して配信で映画を観る環境が現在よりも根付いていなかったのも大きいだろう。2016年末の有料動画配信サービスのユーザー数は1160万人に達すると言われている今(参考:有料動画トップは「プライム・ビデオ」、45%が利用)、同じサービスを行ったら、結果は違うものになっていたかもしれない。
昨年は、アメリカNetflix社が『ビースト・オブ・ノー・ネーション』を配信すると同時に、劇場公開を行った。同作をアカデミー賞にノミネートさせるための施策だったとされるが、映画館側から大きな反発が起こり、全米公開館数はわずか30館であった。しかし、Netflix社をはじめとした配信系会社はオリジナルコンテンツを多数製作しており、今後この形式での上映形態は増えていく可能性がある。日本でも配信サービスのユーザー数は年々増えているため、「1000taku」に次ぐサービスが生まれることもありそうだ。
今後、劇場公開と同時配信が一般化した場合、日本の映画産業にはどんな変化が起きるのだろうか。早稲田大学理工学術院の教員で、映画流通・上映に詳しい映画研究者の土田環氏に話を聞いた。
「映画館や配給会社にとって、同時配信が脅威であることは間違いないところでしょう。しかし、過去を振り返ると、技術の進化によって生まれたテレビやビデオ、DVDによって、映画館が危機に晒されることはありました。それでも映画館が今日まで残り続けているのは、映画館でしか体験することができないものがあると人々が信じているからだと思います。その映画に「固有なもの」が、音質や画面の大きさであると声高に主張することに、個人の映画視聴環境がある程度まで整えられた現在、どれだけの説得力があるのでしょうか? また、現在の経済システムのなかで、技術開発そのものを止めることは不可能でしょう」
映画鑑賞の選択肢が増えたいまだからこそ、考えなければいけないことがあると土田氏は言う。
「そもそも、「映画の死」という言葉自体は、映画史のなかでこれまで幾度となく囁かれてきたのです。むしろ、こうした映画の「危機」において考えなければならないのは、映画の見方や、従来の概念でとらえられてきた「作品」に対する認識がどのように変化するのかしないのか、ということでしょう。配信をはじめとするチャンネルの複数化によって『映画鑑賞の選択肢が増えて、映画文化自体も豊かになる』という意見がありますが、その際に語られる『多様性』とは、本当に映画の多様化たり得るものなのでしょうか? どちらかといえば、私たちがたやすく観ることのできる映画や映像は、画一化の傾向を強めているような気もします。また、タブレットやスマートフォンでの映画鑑賞が、映画を観る行為を個別化し、分散化し、複数化するものあるのに対して、映画館では、スクリーンに投映され反射したものを我々は観ています。しかも、暗闇の中で、見ず知らずの他人と一定時間、同じ方向を観続けるのです。どちらが良い悪いという議論ではなく、私たちが映画や映像を受けとめる空間との関係や認識が異なることを問う必要があると思います」