『東京β』『東京どこに住む?』著者、速水健朗インタビュー

映画は東京をどのように描いてきたか? 速水健朗が語る、東京と映画の不幸な関係

「コミュニティを肯定するのは、僕の中の正義感みたいなものが許さなかった」

――そうやって東京に関する新たなポイント・オブ・ビューを次々に提示していく、『東京β』はそういう本になっていますけど、一方、今とても話題になっている『東京どこに住む?』の方は、より明確に東京に関する固定観念や既成概念みたいなものをひっくり返してやろうという意思が感じられる本で。

速水:さほど話題ではないですけど、実は書店の店頭では売れてるんですよ。これは、東京が「東西」に断絶した街であるという見立てで、東こそ新しいという内容です。おかげで東京の東側の書店はかなりプッシュしてくれていて、100部単位で注文が入ったり、発売4日目で大増刷したりと、これまでになく売れている(笑)。

――東京の東側に住んでいる人にとっては、自己肯定をしてくれる本なんですね(笑)。

速水:まさに。でも、敵も多くつくってますよ。特に同業者には、中央線、東急線など西側に住んでいる人の方が多いですから。でも、実際には東側というか、湾岸地域も含めた、今新しく開発が進んでいる東京の中心部よりちょっと東側について書いたんですけどね。この本の結論を一言で言うと、職住近接というか、人はできるだけ他の人の近くに住んでいた方が、生産性が高まったりアイデアが生まれたりして、効果や効用が高いということです。人はなぜ都市に住むべきなのかと言うことを、いろいろな取材や経済学者、都市の専門家に聞いて書いてます。でも、「コミュニティ」という言葉でそれをくくっては書きたくなかった。結論としては、「新しいつながり」の話でいいのでは? という側面もあるんですけど、僕の性格上、それはいやだったのですごくひねくれてみせてはいるんですけど。

――(笑)。

速水:震災の後に、よく人と人の繋がりが大切みたいなことが言われていたけれど、そういうコミュニティって一番怖いものでもあるじゃないですか。僕らは、監視社会みたいな、昔の日本の村社会みたいなものが嫌でしょうがなかったから都市型の社会を選んだのに、今になって、シレっと人と人の繋がりとか、コミュニティを肯定するのは、僕の中の正義感みたいなものが許さなかったんです。都市って、本来はどんどん人が入ってくる場所じゃないですか。新しくその場所で何かをやりたい人たちがどんどん入ってこられる、開かれた場所であるというのが都市であるはずなのに、日本ではその都市の意味が逆転していて、みんな開発が嫌いで、そこに最初からいる人たちの既得権益の方が大事だ、みたいなことになっている。

――日本映画においても、デベロッパー(開発業者)といえば悪役の典型ですからね。60年代くらいから、ずっとそれが続いている。

速水:任侠映画の時代からずっとそうですよ。新興勢力のヤクザに古くからいる地元のヤクザが追い出されて、それでも最後に一矢報いて仁義を通すという。その新興勢力のバックには大体ゼネコンとか、レジャー産業とか、建築関係。そういう意味で、日本映画はずっと同じ物語を語り続けている。

――言われてみると、本当にそうですよね。

速水:それとはまったく逆に、アメリカ映画では西部のフロンティアを描いた西部劇が映画における一つの神話的モチーフとなっていますが、近年は『アバター』に代表されるように、“開拓された側”の原住民からの視点も不可欠になっていて、より複雑化してきている。

――もう一つ、『東京β』を読んでいて思ったのは、やはり東京は行政的に、本当にロケがしにくい街であり続けてきたんだなってことで。だから、かつての湾岸地域のように人があまりいない場所に撮影隊が追いやられてしまう。

速水:今の政権は東京を観光都市として世界に広めようとしていますけど、だったらまずは、映画で東京の魅力を発信すべきですよね。観光と映画というのは、本来密接に繋がっているものなのに。ただ、これは行政だけの問題じゃなくて、日本人の公共性の問題もあると思うんです。

――公共性?

速水:例えばローマとかパリとかニューヨークっていうのは、どれだけ街が発展しても、住民の中に街の風景を変えてはいけないという公共性が根付いている。石づくりの町の風景を乱すものに対して、公共性の面から反対するんですね。一方で、東京の人は公共のためにはまったく協力しない(笑)。関東大震災や戦争の空爆によって、民間の力で街自体の風景は変わっていったけど、いざ都市計画とかになると、「俺の土地は譲れないから広い道をつくるな」ということになるし、公共性のために街並みを整えるとか、建物の外観を他に合わせるとか、そういうことをしないんです。

――自分が生まれ育った東京の西側は特に酷いですね。杉並区民とか練馬区民とか、「絶対国には土地は売らん」って感じで、もう何十年も環状線の計画が進んでない。そのせいで、中央自動車道に乗るのに、終点の高井戸の入口からは入れないみたいなムチャクチャなことになってる(笑)。

速水:保育所つくろうとして、住民が大反対するっていうニュースも大体杉並区(笑)。日本人って、長いものに巻かれやすくて、自立心のない民族だというイメージがあるんだけど、そういう面では異様に独立精神や自立心が強い。

――確かに。そこは不思議ですね。

速水:あと、みんなが考える都市の美しさみたいなものが、日本人の中で全然共有されていない気もします。だから、リドリー・スコットが『ブラック・レイン』で日本に来て大阪の街を撮ったら、みんな「すげえ! カッコいい!」ってなって。ああいう事例を見ると、僕たちの街が悪いんじゃなくて、撮り方が悪いんじゃないの?って。

――アメリカ映画は最初に街の遠景から始まるケースがとても多い。そこで、ああ、これはニューヨークの話なんだ、ロサンゼルスの話なんだ、サンフランシスコの話なんだ、シカゴの話なんだ、シアトルの話なんだってことが一発でわかるのと同時に、街が映画にとって重要なキャラクターになっている。しかも、そこでの視線は多くの場合、肯定的なんですね。罪を憎んで人を憎まずじゃないけれど、人間の醜さや邪悪さを描いたとしても、街そのものはイノセントであると示されている気がするんです。

速水:アメリカが舞台の作品だけじゃなくて、『ハリーポッター』のような作品ですら、あんなに中世っぽい魔法の世界の作品なのに、ロンドンの高層ビルとかが普通に画面に入ってきて、それをよしとしていますよね。『シャーロック』のオープニングを見ていても、ロンドンがいかに開発されているハイテクな街かっていうのがよくわかります。

――だから日本はね、まず森ビルがどんどん撮影許可を出すべきなんですよ(笑)。六本木ヒルズって、もうできてから10年以上経つけど、まともに映画の舞台になったことがないじゃないですか。

速水:森ビルに限らず、東京スカイツリーもですけど、撮影に使うとなると使用料を取ったりするんですよね。

――お金をとる以前に許可しないんじゃないですか? それに、撮影のために通行禁止とかになったら、きっとみんな怒り出すでしょ? それだけ日本人は日本映画に対して信用の蓄積がないんですよ。街の風景を肯定的に、カッコよく撮ってきた歴史がないから。そういう悪循環でここまできた感じがする。

速水:でも、やっぱり自分たちがビルを建てて、それを野に晒しているんだったら、それをどう使われようが文句を言うのは筋違いですよね。僕らが本を書いた時に、それがどう批判されようが、批判されたくなかったら世に出すなよって話じゃないですか。建物も、本来はそういうものだと思うんですよ。ただ、日本人には新しい建物=都市開発=悪みたいな気持ちが根付いてますからね。そこに信用関係が生まれない理由もわからないではない。

――今の東京オリンピックを巡る騒ぎを見ていてもそうですよね。ただ、自分も東京の街を歩いていて撮影のために通行止めに合ったら「チッ!」って舌打ちするタイプだし、今から東京オリンピックをなんとか返上できないかと思っているくらいなんですけど(笑)。速水さんだって、本音では豊洲のタワーマンションになんて住みたくないでしょ?

速水:何言ってるんですか。住めるものなら住みたいですよ(笑)。

(取材・文=宇野維正)

■速水健朗
1973年生まれ。雑誌編集者を経てライターに。著書『タイアップの歌謡史』『1995年』『フード左翼とフード右翼』ほか。ラジオ番組『速水健朗のクロノス・フライデー』(TFM)などのパーソナリティーのほか、テレビのコメンテーターとしても活躍中。

■書籍情報
『東京β: 更新され続ける都市の物語』
発売中
定価:本体1,400円+税
出版社: 筑摩書房
単行本: 256ページ

『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』
発売中
定価:720円+税
出版社: 朝日新聞出版
新書: 200ページ

関連記事