女性ヒーローが成立する条件とは何か? マーベルと『ジェシカ・ジョーンズ』の挑戦

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 ドラマが始まった時点では、ジェシカは徹底的に受け身だ。探偵業だって好きでやってるわけじゃない。戦うのは、キルグレイブの執拗なストーカー行為によって周囲に犠牲者が出てしまうからで、好き好んでじゃない。自分がキルグレイブに操られ、レイプされたことによって負った心の傷も、周囲に語ることはない。物語中盤、キルグレイブに操られた経験者が集まり「キルグレイブ被害者の会」を結成し、自身の経験を語り合う場面があるが、ジェシカ自身も被害者なのに、会の活動に対して冷淡に嫌味を言ったりもする。過去の経験から深い傷を受け、またその傷と向かい合うこともせず、自分から何も望まない状態に陥っているのが、物語前半のジェシカだ。主演のクリステン・リッターは、さすが『ブレイキング・バッド』で副主人公ジェシーのジャンキーな彼女を演じて評判を上げた女優だけあって、万事投げやりな中に光る魅力を失わない姿を好演している。

 しかし、キルグレイブとの戦いの中で、ジェシカは否応なく「自分は何のために戦うのか」という問いと向き合っていくことになる。ジェシカは、自分に対して異性として執着するキルグレイブと戦う中で、かつてキルグレイブを受け入れてしまった自分自身とも戦う。この戦いは、そのまま「女性ヒーローを成り立たせるための戦い」と重なり合ってくる。誰かの欲望の客体としてでなく、あくまで主体的に、自分の尊厳と、大切なもののために戦うこと。言葉にすれば陳腐だが、ジェシカは自分が戦う理由を見出すために戦っている。これは、ジェシカにとってだけでなく、女性ヒーロー映画の未来のために、とても大切な戦いに思えた。

 その戦いにジェシカとこのドラマの製作者が勝ったかどうかは、それはドラマを見終えた方がそれぞれに判断を下すことだ。筆者は、最後の戦いが終わったとき、ジェシカは「勝った」と思った。

 このドラマは、その戦いを描くために、Netflixの一斉配信ドラマというフォーマットをフルに生かしている。物語を映像で描くメディアとしてのテレビドラマの長所は、単純だけど、「長い」ことだ。より多くの登場人物を、より深く描き込むことができる。時に、ドラマ開始時に想定していたよりもずっと遠くまで物語を進めることができる。その理想形を実現したのが、クリステン・リッターも出演していた歴史的名作『ブレイキング・バッド』だ。半面、テレビドラマの短所は、短期的な視聴者数を常に気にしなければいけないこと、その結果としてせっかくの長所である「長さ」を活かせないパターンが多いことだ。

 Netflixの一斉配信というフォーマットには、テレビドラマの短所を克服することを目指している。実際、『ジェシカ・ジョーンズ』の物語は、通常のドラマなら考えられないほど立ち上がりが遅い。アクションシーンだって、中盤までほとんど出てこない。全13話の最後、ジェシカがヒーローとしての動機を見出す時点から逆算して物語が組み立てられているからだ。中盤以降は、いかにも連続ドラマらしいジェットコースター的な展開が続くが、最後の地点にたどり着くと、それすらきっちりと計算の上組み立てられていたことに気づく。こんな贅沢な作りだからこそ、女性ヒーローものに今まで欠けていたリアリティーある動機を描くことに成功しているのだ。

 『ジェシカ・ジョーンズ』は、テレビドラマとヒーローものの歴史に、確かに新しい一歩を刻んだ。

■小杉俊介
弁護士、ライター。音楽雑誌の編集、出版営業を経て弁護士に。

■作品情報
『ジェシカ・ジョーンズ』
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Netflix:https://www.netflix.com/jp/

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