85歳を迎えた富野由悠季監督ーーなぜ『ガンダム』とオタク第1世代の成長は奇跡的に噛み合ったのか?
黄金期を築いた同世代の旗手たち
先日、富野由悠季監督が85歳となった。1941年生まれのクリエイターが現在でも旺盛に活動し、新作の準備すら続けているという事実には、改めて驚かされるものがある。
富野監督の年代は、日本のテレビアニメの黎明期に若手として業界入りした世代である。国産のアニメ映画自体は大正時代から存在しており、戦時中は戦意高揚の手段として使われた側面もあった。戦後の1958年には日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』が公開。動画メディアの絶対王者として映画が君臨する中、国産のアニメ映画も戦後にはカラー化を果たしたわけである。だが、その後1960年代にかけて進んだのが、テレビ放送の普及だ。
1953年にテレビ放送が開始されて以降、国産の本格的テレビアニメである『鉄腕アトム』が1963年に放送されるまでには10年を要した。富野監督は『鉄腕アトム』の放送開始後である1964年に虫プロダクションに入社しており、国産テレビアニメという事業が始まった直後にキャリアをスタートさせたことになる。この時点で日本のアニメ映画においては東映動画というスタジオがすでに活動しており、さらに手塚治虫という巨大な先達もいた。そういった環境に20代前半で飛び込んだ富野監督は、いわばテレビアニメ制作という業界が確立されていく中で仕事を学んだ、一期生にあたると言っていいだろう。
この世代のアニメ関係者には、そうそうたる面々が並んでいる。まず宮崎駿氏も同じ1941年生まれである。さらにりんたろう氏、杉井ギサブロー氏、出﨑統氏らも同年代と言っていい。他にも有名スタッフとして知られる芝山努氏、中村光毅氏、杉野昭夫氏らはいずれも1940年代生まれ。キャリアをスタートさせた経緯や関わった作品のスタイルはさまざまながら、1970年代から1980年代にかけての日本のアニメ業界は、この年代の業界関係者によって隆盛した。
「オタク第1世代」の成長が生んだ奇跡
さらに富野監督がキャリアをスタートさせた年代と日本のオタクシーンの成立過程を並べてみると、見事に歩調があっていることもわかる。富野監督は1964年に虫プロに入社し、『機動戦士ガンダム』を1979年に完成させている。その間に経過した時間は15年。一方で、いわゆるオタク第一世代と呼ばれる人々は、つまるところ「生まれた時からテレビアニメがあった世代」である。つまり『鉄腕アトム』の放送と前後する時期に生まれ、テレビやキャラクター商品と共に育ったこの世代が、『機動戦士ガンダム』放送時にはちょうど10代半ばに成長していた計算になる。
「1964年に業界入りし、『ガンダム』に到達するまで15年かかった」という富野監督のキャリアは、テレビで放送されるアニメや特撮に触れながら育った世代の成長過程と奇跡的にリンクしているのである。これがもう少し早くても、もしくはもっと遅くても、1980年代初頭の『ガンダム』のブームにはうまく接続できなかったのではないだろうか。1970年代中盤から後半にかけてのアニメに関してはもうひとつ『宇宙戦艦ヤマト』という巨大な作品があるので、オタクシーン全体の動きについては一概に言えない。が、少なくとも富野監督のキャリアと、作品を受け入れる高年齢のファン層の成長速度がピッタリと噛み合っていたのは間違いない。
もちろん、作品自体に魅力がなければ人気は出ない。富野作品で描かれる人間や社会の矛盾と、それを前にして誰にもまして富野監督自らが悩み苦しみ、それでも何かしら希望のあるメッセージを生み出すべく葛藤し続けるあの姿勢があればこそ、富野監督の作品はこれだけ世間に受け入れられたのだと思う。
だが自分は、そこにプラスして、富野監督がキャリアをスタートさせたタイミングの良さ、テレビアニメやキャラクタービジネスと共に育った世代と、富野監督自身のフィルモグラフィーや作品内容との奇跡的一致という点は見過ごされるべきではないと思う。そしてその富野監督が現在85歳であるという事実からは、日本のオタクシーンが積み重ねてきた年輪の厚みが強く感じられるのだ。