杉江松恋の新鋭作家ハンティング もっと多くの読者を獲得すべき作家・松樹凛の二冊目『ぼくらが夕闇を埋めた場所』

 ついに松樹凛が世間に発見された。

 そういう気持ちがある。この作家にはもっと多くの読者を獲得する資格がある。

 単著としては二冊目の『ぼくらが夕闇を埋めた場所』(双葉社)は、初めての純粋なミステリー著作でもある。というのは、最初の単行本である2024年『射手座の香る夏』(東京創元社)はSF短篇集だったからだ。松樹が作家としてのキャリアを始めたジャンルである。2020年に児童文学誌『飛ぶ教室』の第51回作品募集に応募し佳作入選、2021年に「『ペンを取ってくれませんか?』」で第8回日経星新一賞優秀賞を得た。同年に「射手座の香る夏」(「夜の果て、凪の世界」改題)で第12回創元SF短編賞を受賞して、本格的なデビューを果たした。同作を表題作にした最初の短篇集を読んだ頃から思っていたのだが、プロットにミステリーの技巧が用いられており、そちらのジャンルにも親和性がある。いつか書いてくれないものか、と思っていたら『小説推理』2025年1月号に「ぼくらが夕闇を埋めた場所」が掲載されたのである。

 中学2年生の〈ぼく〉こと東という少年が視点人物だ。3学期の修了式が行われた日は、東が大竹中学校で過ごす最後の一日となった。父の仕事の都合で転勤が決まっており、明日引っ越しすることになっているからである。その日の午後、東は星野さんに呼び出される。星野さんとは一緒に図書委員を務めた間柄で距離は近いのだが、交際をしているというわけではない。呼び出された場所は小さな山の麓にある潰れた釣り堀の跡地で、地元では〈水なし沼〉と呼ばれている。

 穴を掘ってほしいの、と星野さんは言った。腕を怪我してしまったので、自分ではできないからだ。地面には、ブルーシートを縞模様のロープで縛った包みがあった。大きさはそう、ちょうど人間の死体ぐらいだ。それがちょうど収まるくらいの穴を掘るのである。

 星野さんはひとつのゲームを持ちかけてきた。穴を掘ってそれを埋めるまでに、星野さんが東を呼び出した理由を当てられるかどうか。答えられるのは3回までだ。以降、東は状況から得た手がかりを元に推理を巡らせていく。並行して星野さんに関する記憶が語られる。手がかりはその場にあるものだけではなく、星野さんを構成する過去の時間内にもあるのだ。関連する登場人物は多くなくて、一つひとつのエピソードの含意を咀嚼しながら読まないといけない仕掛けになっている。じっくり読むのに向いている短篇だ。

 3回の解答権があることから想像可能なように、3つの推理が東によって開陳される。ここで小説として好ましいのは、それらの解答の位相がばらばらであることだ。極めて深刻な内容を示唆するものから、十代前半の少年少女らしい微笑ましいものまで。夕闇の中に佇む二人を描いて終始不安を醸し出すような雰囲気なのに、青春小説らしい清らかさを感じるのはそのためだ。小説の行く先を一方向に固定しすぎず、わざとぶれが生じるように松樹は書いている。そのため、どこに着地するのかは読み終わってみないとわからない。

 余韻がずっと残る短篇で、読み終えたあともしばらくその感覚を引きずっていた。『小説推理』は紙での刊行が終了し、WEB「小説推理」に移行した。その2025年11月号にも松樹の短篇が掲載されている。「カフェオレ色の恋をした」である。

 視点人物は変わって、17歳で高校生の〈わたし〉こと高橋優子である。彼女は24時間営業のセルフカフェ〈ユアセルフ〉を自習室代わりに使っている。高橋は「誰かに頼み事をするのが苦手」な性格なのだが、その彼女が山本拓海という同世代の少年にちょっとした頼み事をするという場面から小説は始まる。

 詳しく書くとこれはネタばらしになってしまう小説なので、全体のトーンがどういうものかは省くが、高校生を主人公に据えることでおのずと瑞々しい作品になっている。いわゆる〈日常の謎〉、つまり犯罪要素の含まれない、ちょっとした奇妙な出来事について推理を巡らせるというタイプの作品である。謎を解いて終わり、なのではなくて、その後、があることにも注目したい。論理を弄り回すだけではなく、なぜそういう行為を取るのか、という点にも話が及んでいくのである。語り手の自我に物語が迫ってくるわけだから、当然優しい、美しいだけの小説にはならない。それは幕切れの一文に書かれているように「苦くて甘い、嘘と本当の味」がする。

 雑誌発表されたときには「ぼくらが夕闇を埋めた場所」と「カフェオレ色の恋をした」が連作であるとは気づいておらず、つまり独立した短篇だと思っていた。その趣向は単行本で初めて明示されることになった。次の「幽霊は着替えない」もWEB「小説推理」2026年5月号に掲載されている。ここでは前作との連続性が早い段階で読者に示される。作中に登場する〈あたし〉という10歳の少女が、「ぼくらが夕闇を埋めた場所」で東の幼馴染として登場する有賀由佳と同じ名前だからだ。前作では中学生だった少女が「幽霊は着替えない」では小学生ということは、過去の出来事を描いているのである。

 冒頭で由佳とは違う〈ぼく〉という語り手が出てきて、町に幽霊が出るという噂について語る。その後で〈あたし〉こと有賀由佳が登場し、彼らが交互に語るという展開になる。由佳は〈ぼく〉のことをトモちゃんと呼ぶ。二人の語りはやがて、〈洗濯物の幽霊〉という奇妙な現象が何かを突き止めるという方向へ進んでいく。

 最後の「わたしたちのエンドロール」のみが書き下ろしで、全体をまとめるような働きをする物語として置かれている。視点人物は山下巧海という筆名でミステリーを書いているのだが、その作品である「ぼくらが夕闇を埋めた場所」が、ある理由によって炎上する。そのために作者が社会的生命を脅かされるような事態になってしまうのだ。何が起きているのか、という謎は、ではそれに関わった者は何を求めていたのかという動機、どういう心を持った人だったのかという人間そのものへの問いへと変わっていく。

 どの作品にもそうした二重構造が潜んでいる。ミステリー的な技法が前面に出る謎、つまり手がかりの回収や、論理の構築によってその現象がどういうものであったかが示されるものが読者の前にまず現れる。それらを解きほぐしていくと、パズルとしては解きえないものが浮上してくる。パズルとして不可能というのは、呼称をA・Bというような記号で代替しても成立するものではなく、固有の名前、その人だけの心の動きを持った一個の人間として考えないと到達できない疑問だからである。これはつまり、小説のような物語でしか成立しないミステリーだということでもある。

 松樹の非ミステリー作品にミステリー的な技巧が用いられていることは前述した。松樹の書くミステリーは上記のように、突き詰めていくとその謎がどのような意図をもって構成されたかということに行き当たる。同じようにSF作品においても、作品の趣向がどういう人間のために準備されたか、ということが大きな意味を持つのである。どんな作品であっても、どのようなキャラクターをそこに登場させているのか、という問いが意味を持つように書かれている。

 ものすごく大雑把な言い方をすれば、心を書く作家なのである。儚く、汚れた手で触れられることが適さない心。松樹凛の書く心を多くの読者に読んでもらいたい。

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