『光が死んだ夏』完結に寄せてーー2人の少年の複雑な関係性は何を問いかけていたのか?

『光が死んだ夏』完結に寄せて

 『光が死んだ夏』(モクモクれん)が、2026年10月20日更新の第51話をもって完結を迎えた。

 ――舞台は自然豊かな田舎町。そこで暮らす少年・よしきは、ある日、幼なじみの光が山で行方不明になった後、まったく別の“ナニカ”にすり替わって戻ってきたことに気づく。しかし、よしきはその事実を知りながらも、光の姿をした“ナニカ”のそばを離れようとしない。

 閉塞感漂う田舎町、古くから伝わる不気味な伝承、次々と起こる不可解な事件。背筋が凍るようなホラー描写を随所に散りばめながらも、光の姿をした“ナニカ”とよしき、2人の少年の間で揺れ動く複雑な感情と奇妙な関係性を鮮烈に描いてきた本作。

 2021年に「ヤングエースUP」(KADOKAWA)で連載が始まるや否や、熱心なマンガファンの間で注目を集め、単行本第1巻の発売前からTikTokでキャラクターのコスプレ動画が投稿されるなど、SNSを中心にZ世代の間で爆発的な話題を呼んだ。

 その勢いはとどまることを知らず、単行本第1巻は発売からわずか3か月で累計発行部数20万部を突破。作者・モクモクれん氏にとって商業連載デビュー作でありながら、『このマンガがすごい!2023』(宝島社)オトコ編第1位に輝いた。さらに、2025年7月にはテレビアニメ化され、第2期の制作も決定。まさに、数々の快挙を成し遂げてきた作品である。

 実は、本メディア「リアルサウンド ブック」でも、2022年7月に作者・モクモクれん氏へのオンラインインタビューを実施したことがある。

話題の青春ホラー漫画『光が死んだ夏』作者が明かす、“恐怖”を表現するためのこだわり 「記号ではなく、行動で感情を描く」

TikTokやTwitterなど各SNSを通じ、Z世代の間で爆発的に話題を集めている漫画『光が死んだ夏』。その勢いは止まる…

 当時の取材では、本作の構想が生まれたのは高校時代、受験勉強中にふと思い浮かんだアイデアがきっかけだったことや、連載開始当初から話題を呼んでいた独特のホラー表現の源泉など、作品誕生の背景について詳しく伺った。

 また、取材当時はまだ物語が序盤だったこともあり、よしきと光の関係性を「ブロマンス」という言葉で捉え、そのような趣旨の質問も投げかけた。モクモクれん氏は、その問いにも真摯に答えてくださったのだが、完結を迎えた今、改めて振り返ると、あの質問は野暮だったと思う。

 というのも、最後まで物語を見届けた今、私には『光が死んだ夏』の主題は、「ブロマンス」あるいは「ロマンス」でもなかったように思えるからだ。

 もちろん、よしきと光の間にある感情を恋愛として受け取ることも、友情として捉えることも、あるいはそのどちらでもない名前のつけられない感情として解釈することも自由だろう。ひとつの物語から無数の解釈が生まれることこそ、創作の醍醐味でもある。

 ただ、私自身は、完結した本作を振り返ったとき、これは世間が求める“普通”に追い詰められ、どこにも居場所を見いだせない者たちの物語だったのではないかと思うのだ。

 閉塞的な田舎町で暮らし、周囲の価値観や、幼なじみの光に抱く感情との間で葛藤を重ねてきたよしき。彼は自分の内側にある感情をうまく言葉にできず、誰にも打ち明けられないまま、鬱屈した思いを抱えて生きてきた。

 そして、光の姿を借りてよしきのもとへ戻ってきた“ナニカ”もまた、人間の世界から見れば、決して“普通”とは呼べない存在だ。人間とは異なる身体や性質を持ち、理解しがたい力を備えたその存在は、ともすれば無条件に「化け物」として恐れられ、排除されてもおかしくない。実際、物語の序盤では、集落で相次ぐ不可解な事件の元凶こそが、この“ナニカ”なのではないかと疑った読者も少なくなかっただろう。

 しかし、本作が最後まで描き続けたのは、そうした単純な善悪の構図ではなかった。もちろん、作中で起こる怪異は紛れもなく恐ろしく、ときに人々の生活や命を脅かす。ホラー作品としての恐怖は最後まで損なわれることがない。それでも、本作は、この世ならざる存在を、ただ異質であるという理由だけで“厄災”とはしなかった。

 理解できない存在が恐ろしいことと、その存在そのものが悪であることは、決して同義ではない。たとえ誰かを傷つける力を持っていたとしても、あるいは実際に危害を及ぼしてしまったとしても、それだけをもって、その存在のすべてを「悪」と断じることはできないのではないか。

 本作は、異質な存在を一方的な悪役に仕立て上げ、それを排除することで平穏を取り戻すという安易な結末を選ばなかった。むしろ、恐怖の対象として登場したはずの存在にも、感情があり、願いがあり、誰かとともに生きたいという切実な思いがあることを、丁寧に描き続けてきた。

 異質なものを排除するのではなく、異なる存在がそれでも同じ世界で生きていくことはできるのか。理解しきれない他者と、どのように向き合っていけばよいのか。その問いを、よしきと光の関係を通して最後まで描き切ったことにこそ、私は『光が死んだ夏』という作品の素晴らしさがあると思う。

 そして、そんな本作の根底に流れる思いを象徴するように、モクモクれん氏は完結に際して、次のような言葉を発表している。

「この世に化物は居ませんが、それでも自分を化け物だと感じてしまう人々に祝福を」

 この言葉を読んだとき、改めて『光が死んだ夏』という作品が描いてきたものの大きさを感じた。よしきも、光の姿をした“ナニカ”も、誰かが定めた“普通”の枠組みからはみ出してしまう存在だった。けれど、だからといって、その存在そのものが否定されていい理由にはならない。

 誰かと違うこと。理解されないこと。自分でもうまく説明できない感情を抱えていること。それらは決して、その人が「化け物」であることを意味しない。

 それでも私たちは、ときに自分と異なるものを恐れ、理解できないものを遠ざけようとする。多様性という言葉が広く浸透した現代においても、社会の中には依然としてさまざまな排除や分断が存在している。そして、そのまなざしを内面化し、自分自身を異質な存在だと感じながら生きている人もいるだろう。だからこそ、私はモクモクれん氏の言葉を、そんな人々に向けた祈りのように受け取った。

 この世に化け物はいない。

 それでも、自分を化け物だと感じてしまう人がいる。あるいは、誰かにそう感じさせてしまう社会がある。

 『光が死んだ夏』は、そんな世界で生きる私たちに、誰かと違っていても、理解されなくても、ただそこに「在る」ことを否定されるべきではないのだと語りかけてくれる。そして、私たちがそんな世界に生きている限り、この夏の物語は、きっと私たちの中で永遠に輝き続けるのだと思う。

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