【追悼】村上龍:若者たちを惹きつけた孤立を恐れぬ勇気
敗戦とアメリカの影から生まれたエンタメ作品たち
2026年10月23日、小説家の村上龍が、去る10月17日に自宅で逝去していたことが発表された。文壇デビューからすでに半世紀、享年74歳となる。いよいよ戦後生まれの著名人の物故者もめずらしくなくなってきた。
1976年に『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞した村上龍は、純文学の作家として活動してきた。しかしながら、かなりエンタメ寄りの作品を数多く発表し、1970年代末から1990年代には、10〜20代の若者にとって身近な兄貴分のような文化人だった。
1987年刊行の『愛と幻想のファシズム』の中で、超一流のハンターである鈴原冬二は戦後日本の平和を欺瞞と見なし「俺達は大東亜戦争後、幸福な幻の中で生きてきた」「母なる日本だ。オレは、母を犯して、父を殺すんだよ!」と語る。ここで暗示される父は、戦後日本を庇護してきたアメリカだ。1994年刊行の『五分後の世界』では、合理的精神を身に着けたうえで果敢にアメリカに抵抗してゲリラ戦を続ける日本軍が描かれた。
これらを2000年代以降に広まった、いわゆるネット右翼の源流と見なすのはまったくの筋違いだ。1970〜90年代のエンタメの担い手だった世代には、いまだ「自分は貧しい敗戦国に育った」というメンタリティと、「強くて金持ちで高慢なアメリカ」への反発心が漂っていた。ことに村上龍は米軍基地の街である長崎県佐世保で育ち、中高生のころはベトナム戦争と同時期だ、『69 sixty nine』の端々には、ロックをはじめとするアメリカ文化への憧れと、強さと豊かさを見せつける在日米軍への反感が入り混じった複雑な感情がにじんでいる。
村上龍の思想と似て異なったネット時代の空気
『愛と幻想のファシズム』が刊行された1980年代後半、日本経済はバブル期で天下泰平だったからこそ、主人公の鈴原冬二が説いた弱肉強食の狩猟原理やファシズム的な煽動は先鋭的で刺激的だった。ところが、それから十数年、2001年に小泉純一郎内閣が成立して新自由主義的な改革が唱えられると、「この世は弱肉強食の自由競争だ、弱者は淘汰される」といった考え方は、インターネット上で流布される通俗的な一般論になってしまった(就職氷河期世代の多くも、一時は上の世代の無能が淘汰されると期待して小泉改革を歓迎したけれど、のちには自分の方が淘汰された形になった)。
そして、2000年代以降のネット上では弱者や少数者を侮蔑する書き込みが蔓延した——これらは村上龍の思想と一見似てるようでまったく別物だ。村上龍が描いたのは強者への反逆、社会のシステムからはみ出す勇気、そして誰も頼らず自力で戦うことだったが、ネットの普及とともに広がったのは、強者に追従して自分の身は安全圏に置いたまま、差別的な発言を通じて優越感の快楽と一体感の快楽を共有することだった。
2000年代に入って以降、多くの人々にとって村上龍といえば、テレビ東京で放送されている『カンブリア宮殿』のMCという印象だろう。2003年に刊行された『13歳のハローワーク』を熟読して生き方を考えた人も少ないはずだ。社会からはみ出した少年たちが独自に新国家を築こうとする『希望の国のエクソダス』、北朝鮮の侵攻に武装した少年たちが自力で立ち向かう『半島を出よ』ほかの作品も大きな話題を呼んだ。
とはいえ、小説家として新しい世代の読者にも広く共感されるポジションとは言えなくなってきた印象は否めない。それは、誰でもネット上で同意が得られるようになり、孤独や孤立がごまかせる反面、他者の目が気になって仕方ないという時代になってきた影響だったのではないか——だが、キクとハシも、矢崎剣介も、イシハラも、キョウコも、そのほか村上龍の作品の主人公たちは、孤立を恐れなかった。
今後、村上龍の死去から10年、20年を経て、かつて2000年代に起こった松本清張作品の再ブームのように、いつか村上龍作品の再ブームが来るかはわからない。それでも、1970〜90年代の若者を惹きつけた数々の村上龍作品は、当時まだ色濃く残っていた「自分は貧しい敗戦国に育った」というメンタリティと、個人と個人が簡単につながれる携帯電話やインターネットもなく、だからこそ孤立を恐れぬ勇気が輝かしかった時代の空気を伝える文献として読まれる価値があるはずだ。