なぜ「民衆宗教」は戦争協力へ向かったのか? 永岡崇が語る熱狂と警鐘「反権力な“だけ”ではなかった」

 日本には「民衆宗教」と呼ばれた、いくつかの宗教教団が存在する。幕末から明治にかけて、あるカリスマ的な教祖の下で生まれ、伝統宗教とは異なる独特の信仰を生み出した。天理教、金光教、大本といった諸教団が、それにあたる。

 興味深いのは、ある時期の歴史学や民俗学では「民衆宗教」が肯定的に用いられていたことだ。ときに批判の語彙にもなる「宗教」が、なぜ好意的に評価されたのか。かつての歴史学者や民俗学者が、民衆宗教に見出した「正しさ」とは何だったのか。今年9月、『民衆宗教 帝国日本の信仰とナショナリズム』(中公新書)を上梓した駒澤大学准教授の永岡崇に、「うさんくさい」の一言では片付けられない、民衆宗教の歴史と現代的意義を聞いた。

「民衆=非エリート」が生み出した宗教

永岡崇氏

――『民衆宗教 帝国日本の信仰とナショナリズム』(以下、本書)は、近代日本で生まれた民衆宗教の成り立ちや発展、国家による弾圧などの歴史を追いながら、日本の近代化を「民衆」の視点で描いています。はじめに、民衆宗教とは何かご説明いただけますか。

永岡崇(以下、永岡):民衆宗教は、19世紀から20世紀半ばにかけて日本で発生・展開した、非エリートを中心に独自の思想形成や組織化をした宗教運動です。天理教、金光教、大本、黒住教などの教団があり、そのなかでも天理教や金光教、大本などは、最盛期の信者数が数十万から数百万とされるなど、明治から昭和の戦前期にかけて一定の存在感を誇りました。

 民衆宗教と類似する用語に「新宗教」があります。両者は重なる部分もありますが、民衆宗教は非エリート、つまり「民衆」が信仰や運動の主体であった点を強調します。民衆宗教の代表的な教団の教祖は、いずれも武士や役人、伝統宗教の高僧などの特権階級ではありませんでした。いわば「普通の人」が生み出し、都市や農村の非エリート層を中心に拡大した点が、民衆宗教の特徴と言えます。

――「新興宗教」とも違うのですか。

永岡:ニュアンスの違いですが、新興宗教はネガティブな意味合いで用いられることが多いですよね。言葉に「うさんくさい」、「詐欺」、「いかがわしい」といった印象が伴います。一方で、「民衆宗教」は、1950年代末から1960年代にかけて、その概念を唱えた人々がポジティブな意味を含んで用いました。

 民衆宗教という用語を生み出したのは宗教学者の村上重良です。マルクス主義者であった村上は、非エリートが中心となって当時の明治国家とは異なる理念や社会像を打ち出す民衆宗教を、権力と対決する存在として肯定的に評価しました。民衆宗教の反権力性に、マルクス主義的な変革の可能性を見出したわけです。民衆宗教に「民衆」が冠されることにも「権力者 対 民衆」という階級闘争の構図が意識されています。

――戦後の知識人にとって、民衆宗教は戦前の社会に抵抗した尊い存在だったわけですね。

永岡:はい。ただし、逆に言えば、民衆宗教という概念は、イデオロギー色が強いとも言えます。実際に、冷戦崩壊後にマルクス主義が退潮するなかで、民衆宗教という用語が持つイデオロギー的性格を敬遠する研究者が増えました。「権力者 対 民衆」の対立構図では説明できない出来事や政治的衝突が数多く出現したことが影響していると思われます。また、おそらくそれ以上に、日本社会が豊かになり、そもそも民衆という存在自体がリアリティを失っていったという要因が大きい。

 ただし、私の肌感覚ですが、ここ最近は民衆宗教を用いる研究者が、また増えつつあるとも感じています。

――民衆宗教が再評価される理由は何でしょうか。

永岡:格差の拡大や、閉塞感の広がりではないでしょうか。民衆宗教が生まれた背景には、当時の庶民の困窮がありました。民衆宗教の教義や信仰実践には、世の人々の窮状を訴えるものが少なくありません。その主張は、経済的な衰退が続き、生活の苦しさが現実味を増す今の日本人に響くのだと思います。もしかすると、日本にはもう一度、民衆宗教のメッセージがリアリティを持つ時代が到来しているのかもしれません。

「神がかり」から生まれた反体制思想

永岡崇『民衆宗教 帝国日本の信仰とナショナリズム』(中公新書)

――民衆宗教には庶民の不満を可視化する機能があったと。いつの時代も人間は社会に不満を抱えていますし、共感を覚える人も多そうです。

永岡:そうでなくても、民衆宗教には、どこか興味を惹く独特の面白さがあります。その一つが「神がかり」です。神がかりとは、霊的な存在が身体に乗り移り、トランス状態に陥ることを指します。民衆宗教の教祖たちは、神がかりをきっかけに宗教者として覚醒し、布教や救済活動を開始しました。

――いわゆる「シャーマン」ですね。

永岡:そうです。ただし、シャーマン的宗教者は、民衆宗教が勃興した江戸時代末期頃には珍しい存在ではありませんでした。民衆宗教が独特なのは、それまでは表立って主義主張を口にすることのなかった非エリートの庶民たちが、神がかりのトランス状態のなかで突如として独自の思想を語り、書き残し始めることです。

 特に顕著なのは、大本の教祖である出口なおです。なおは京都府北部の丹波地方で生まれ、50代半ばまで数々の不幸と貧困の下で暮らした苦労人の女性でした。性格的にも無口で大人しい、主義主張とは無縁の人物だったと伝えられています。

 それが、ある日の神がかりをきっかけに、「筆先」と呼ばれる社会への痛烈な批判を含む膨大な言葉をしたためはじめるわけです。そのなかでは、天皇を含む当時の権力者に容赦なく矛先を向けています。それまで不幸と貧困にあえでいた老女が忖度なく権力者を批判し、教祖としてのカリスマを帯びていく様には、どこか胸の空くものがあります。カウンターカルチャー的な痛快さとでも言えるでしょうか。実際に、民衆宗教研究が盛んだった1950年代末から1960年代にはなおを反体制のアイコンとして持て囃す風潮もありました。

先行研究が見落とした民衆宗教の「別の顔」

――なるほど。虐げられた庶民が突如としてカリスマ化して、権力に抵抗するストーリーは確かに魅力的です。

永岡:そうですね。かつての民衆宗教研究も基本的には、そうしたストーリーに沿って各教団を分析していました。

 ただし、この点が本書の独自性なのですが、私は「権力者 対 民衆」という二項対立の図式では民衆宗教を捉えていません。民衆宗教の教祖や信者たちは、必ずしも反権力な”だけ”の存在ではなかったからです。

――どういうことでしょう。

永岡:民衆宗教の歴史をつぶさに検討すると、彼ら彼女らが、ときに権力に阿り、協調し、さらには全体主義に積極的に加担することもあったと分かるからです。反権力性を重視する従来の研究の視点では、こうした事実を取りこぼしてしまいます。

 ミシェル・フーコーの「生権力」の概念を踏まえると分かりやすいですが、権力関係は二項対立的な単純な図式では捉えきれません。人々の行動や意思を縛るのは権力者だけではなく、世間の同調圧力や身近な人間関係のなかでも権力関係は生じます。だとすると、民衆宗教を抵抗の象徴として持て囃すのは無理があるのではないか。それは、もしかすると、かつての知識人たちの反体制的なロマンを投影していたに過ぎないのかもしれない。

 たしかに、二項対立的な図式は魅力的です。虐げられた民衆が立ち上がる姿にはカタルシスも感じられます。しかし、冷戦崩壊以降、「権力者 対 民衆」という対立構図が説得力を失い、権力の複雑性が問われるようになりました。それならば、民衆宗教の教祖や信者たちも戦前の全体主義を構成した当事者だったと捉え直すべきはないか、というのが私の問題意識です。

宗教が社会と歩調を合わせる危険性

――具体的に、どのように民衆宗教は権力に加担したのでしょうか。

永岡:その過程が表れているのが、教義の読みなおしです。民衆宗教は、その時々の時代状況に応じて教祖の教えを読みなおし、信仰の形を変化させていきました。その過程において、体制や社会に忖度し、権力に迎合することがありました。

――疑問なのですが、そもそも教義は読みなおしてよいのでしょうか。教祖の教えを捻じ曲げることになるのでは。

永岡:たしかに、教義の読みなおしは信仰からの逸脱とも言えますが、一方では必然でもあります。宗教に限りませんが、そもそも人間は言葉の意味を正しく汲み取ろうとしても誤読してしまいますし、自分に都合よく解釈したいという欲望も持っています。教義の読みなおしは、不可避的に生じてしまうのです。

 さらに、伝統宗教においては、教義からの逸脱を防ぐために神学や教義学の知が積み重ねられますが、民衆宗教は、そうした蓄積が乏しいので比較的自由に教義を解釈できてしまいます。不特定多数の新たな信者を巻き込みながら拡大していった民衆宗教において、教義が読みなおされるのはやむを得ないことでした。しかし、逆に言えば、絶えざる「読み」の運動こそが、民衆宗教の独自性であり創造性でもあったとも言えます。

――しかし、読みなおしを繰り返した先に、権力に迎合することになったと。

永岡:はい。例えば、天理教は太平洋戦争が開戦した1941(昭和16)年に、工場や鉱山で勤労奉仕を担う「ひのきしん隊」を結成し、積極的な戦時協力に邁進します。

 戦前期の日本では国家主義が台頭するなかで、天理教をはじめとした民衆宗教の教義や信仰を「不敬」とする圧力が次第に高まっていました。この頃には帝国議会において、天理教の教義が不敬ではないかとの質問も行われています。こうした政治的な圧力のなかで、天理教は「革新」と呼ばれる教団改革を断行し、教義を変更するとともに献身的な奉仕活動にのめり込みました。

 信仰を異端視された天理教の信者たちにとって、戦時協力は国家や社会から承認を得るための唯一の道でした。そのほか、金光教や黒住教などの民衆宗教が戦時体勢を構築し、勤労奉仕や慰問活動などの戦時協力に従事しています。

――戦時下の国家が求める形に教義を読みなおして、宗教的な熱狂のもとで戦時協力してしまったのですね。

永岡:この出来事から学べることは多いと思います。宗教の信者に限りませんが、国家が全体主義化したとき、私たちは承認や栄誉を求めて、社会の要請に過剰に意味を見出して没入してしまうことがある。その一人ひとりの行動が戦時体制を後押しし、破滅的な戦争を導いてしまうのです。

――異端的とされる宗教を批判して世間に同調させることで、より社会が誤った方向へと加速してしまうのは皮肉ですね。

永岡:それは、信仰を持たない私たちにも関わる論点です。宗教が世俗の常識と歩調を合わせることが、必ずしも正しいとは言えません。権力や世論が同調を求めて圧力を強めると、宗教があらぬ方向に暴走して、社会の閉塞感や硬直性をより高めてしまうかもしれないのです。

 この点において、私たちは宗教とは無関係でいられない。仮に信仰の当事者ではなかったとしても、個々人の宗教への関わり方が社会の趨勢に影響を与えうると歴史が物語っているからです。決して、宗教を社会の外側の存在として等閑視して済む問題ではありません。

信仰のない人々は宗教といかに関わるべきか

――では、信仰の当事者でない人々は、どのように宗教と関わるべきでしょうか。

永岡:難しい問題です。先ほど述べたように、宗教を異端視して、異質な他者として遠ざけるのは適切ではありません。しかし、かといって、世俗社会の欺瞞や理不尽を告発する特別な存在として祭り上げるのも違う。

 かつて一部の知識人が、一連の事件が発覚する以前のオウム真理教を世俗的な価値観を相対化する存在として肯定的に評価し、後に強烈な批判を浴びるという出来事がありました。このことからも分かるように、宗教の反権力性や反世俗性を安易に肯定するのは危険と言うほかありません。とはいえ、宗教が世俗的な価値観に疑問を投げかけ、その意義を問い直すという機能を有しているのも、また事実です。

――「善悪」や「正邪」の二分法では割り切れない複雑な問題であると。

永岡:そう思います。ただ一つ確かなのは、信仰の当事者であろうとなかろうと、同じ社会を構成する一員だということです。両者は隔絶しているのではなく、同じ社会のなかで不可避的に共存しています。信仰の当事者ではない人も、宗教を差別したり受容したりという場面では、宗教の当事者であり得るわけです。そのことを常に意識し続けることが、私を含む信仰の当事者ではない人々の、現代におけるあるべき態度なのではないでしょうか。

■書誌情報
『民衆宗教 帝国日本の信仰とナショナリズム』
著者:永岡崇
価格:1,100円
発売日:2026年9月18日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公新書

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