SNS時代の短歌ブームと一線を画す表現とは? 歌人・𠮷田恭大『フェイルセーフ』が魅せる新たな「私性」

 近年はふたたび、短歌ブームが訪れている。その背景は、ひとつにはSNS、また短歌アプリの普及によって、短歌を作り、また人の目に見せることが容易になってきたことがある。たとえばXで「#短歌」「#tanka」といったハッシュタグで検索すると、ほぼ1分刻みでアマチュア歌人の作品がタイムラインに表示され、それだけ、ネット上における短歌の浸透が実感できる。

 では、そうした歌の特色はどのようなものか。日本現代詩歌文学館の豊泉豪によれば、「普段の生活で話しているような平易な言葉が使われ、キャッチーで、わかりやすく、共感しやすい歌」が大勢を占めるのだという(「AERA DIGITAL」2023年5月11日配信)。これはネット上の傾向にとどまらない。たとえば近年話題になった、上坂あゆ美の『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)、岡本真帆『水上バス浅草行き』(ナナロク社)などは、モチーフは異なりながらも、「平易な言葉」や「わかりやすさ」、また「共感しやすさ」という軸でつながりを持つ。

 また、近年の短歌のもう一つの大きな特色としては、読み手の「私」または「私性」が強く刻印されていることにある。『老人ホームで死ぬほどモテたい』であれば、「母は鳥 姉には獅子と羽根がありわたしは刺青(タトゥー)がないという刺青(タトゥー)」という歌に詠み手の固有の経験が刻印されていることが見受けられるし、『水上バス浅草行き』であれば、「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘がこんなにたくさんあるし」という歌に、読者は自然と歌の主体と作者を結び付けるだろう。

 そのようなことを踏まえたとき、早稲田短歌会に出自を持ち、舞台制作者としての顔も持つ𠮷田恭大という歌人は、現在の短歌の潮流とは少し異なった位置にあることがわかる。2019年に出版された第一歌集の『光と私語』(いぬのせなか座)は、タイトルに「私」という言葉が刻印されていることとは裏腹に、どこか書き手の顔や感情が読めず、したがって、読者からの共感もそう易々とは許さない。

 動物の住む場所を東西に分け、そこを渡ってゆくモノレール
 トラのいる檻でボタンを押して鳴るさびしい時のトラの鳴き声

 言葉そのものはわかりやすく、意味もひとまずは伝わってくる。しかしその一方で、これらの歌には詠み手の感情そのものは見えにくく、作者がどのような視点で物事をとらえているのか、その詳細を知る道はなだらかではない。

 坂道で缶のスープを散らかして笑う時代の犬になりたい

 「なりたい」という欲望が語られているにもかかわらず、この歌にもまた「私」や「私性」は見えにくい。というのは、この「なりたい」という感情の源泉が、読者には理解が難しいからだ。𠮷田の「私語」は、読者に安易なわかりやすさを示すことはない。

𠮷田恭大『フェイルセーフ』(角川書店)

 では、『光と私語』から7年の歳月を経て編まれた𠮷田の第二歌集『フェイルセーフ』(角川書店)はどうか。この歌集もまた、基本的にはそうした作法は踏襲されている。

 タイトルの「フェイルセーフ」とは、「不具合が起きた際でも安全な状態で動作・停止させられる技術」のことで、エレベーターや自動車など、幅広いシステムで使われているという。この技術は、社会における安全性の向上とも、社会における「人間の欠落」を後押しするものとも捉えることはできるが、𠮷田の関心はおそらくは後者にある。

 終日をやることのない人間が座ったままで運ばれていく

 「座ったままで運ばれていく」とは、「人間」が電車や車に乗り、本人の意志とは無関係に体が移動させられるという意味合いが読み取れ、この歌には、機械化が進み、人間もそれに踊らされる社会の一形態を見出すことができる。

 帰るべき部屋、みたいなのあなたにも船にもそれぞれありますね

 機械化の浸透に伴う人間的な情感の減退が、この歌には鮮やかに反映されている。「帰るべき部屋」というモチーフそのものは、より感傷的に切り取ることもできるものの、この歌では単なる船の収容スペースと同一視され、取り立てて重要視するものではないように描かれている。また、これらの歌は単なる事実の説明のようにも思え、「私」の姿勢や立ち位置も見えにくい。

 しかし、よく『フェイルセーフ』の歌に目を凝らすうちに、じつはほのかな情感や私性もその中に宿っていることに気づかされる。

 街灯の根元に犬は繋がれておとなしく照らされている犬
 ワイヤレスイヤホンを耳から外し手元に仕舞うまでを見ている

 ここで詠まれる現象は、街灯の増加やワイヤレスイヤホンの普及という、まさに「機械化」の延長にあるもので、かつ、直接的な感情そのものは描かれない。しかし、描写そのものは具体的で、犬に当たる光にほのかな温かみを覚え、イヤホンを持つ相手に関心をもって見つめる作者像が、ここでは演出されている。

 最後まで乗ることのないバスだった 西武とJRを結ぶバス

 この歌でも感情の揺れ動きそのものは描かれないが、しかし、バスの情報よりも「最後まで乗ることのない」という否定が先立ち、また「バス」という言葉の繰り返しから、一抹の後悔を覚える作者の横顔が見えてくる。いわば𠮷田は、直接的な「私性」や「情感」を描くのではなく、一見は抑制的な表現を駆使することで、それらを読者の前に顕現させている。そのように考えたうえで振り返ると、『光と私語』の中にも、「私性」や「情感」は点描のようにちりばめられていることが了解でき、そこから2つの歌集の連続性と、𠮷田の一貫した歌への意識が見えてくる。

 冒頭で示したような平易なわかりやすさ、およびそれが生む共感性は読者への訴求力も強い一方で、模倣も比較的しやすく、機械化やAIの発展にともない、定型表現が確立したような面もある。𠮷田が編む「私性」や「情感」は、そうしたわかりやすさとは対極の位置にあり、それゆえに意義は強い。いわば、「フェイルセーフ」=機械化が浸透する中でも消えない人間性の光を、𠮷田は確かに歌によって映し出しているのである。

■書誌情報
『フェイルセーフ』
著者:𠮷田恭大
価格:2,420円
発売日:2025年12月24日
出版社:KADOKAWA

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