ちくま新書・橋本陽介編集長インタビュー「テーマが問いの形になっていた方が読者は受けとめやすいのではないか」

 筑摩書房のちくま新書は、1994年の創刊から今年9月で30周年を迎えた。10月発売の新刊6点で総刊行点数は1838点となり、累計発行部数は3200万部を超えている。また、同社は、若い読者むけの「プリマー=入門書」という位置づけで、2005年よりちくまプリマー新書も刊行している。今秋、全国の書店で開催した創刊30周年フェアで「問い」をテーマに掲げたちくま新書は、どのように歩んできたのか。橋本陽介編集長に聞いた。(円堂都司昭/9月30日取材・構成)

坂爪真吾『性風俗のいびつな現場』に手応え

橋本陽介編集長

――筑摩書房に入社した経緯は。

橋本:最初は書店のリブロに入社し3年間働きました。書店員の田口久美子さんが書かれた『書店風雲録』を読んで本屋に興味を持ち、入社試験を受けたんです。『書店風雲録』には人文書を売ることが1980年代の華々しい話として書かれていて面白かった。ただ、就職氷河期の就活当時、リブロとしてはチェーン展開をするなかで、ジェネラリスト寄りのなんでもできる書店員を求めていたらしいので、私はなんか勘違いしていたんです。

――その頃から人文書に興味があったんですか。

橋本:大学生なりに背伸びして文芸誌や「現代思想」、「ユリイカ」などをちらちら読むとか、そういう方面に関心がありました。リブロに入って3年目に転職を考えた時、出版社を何社か受けました。ビジネス書の版元も受けましたし、筑摩書房に入ったのはたまたまです。2008年のことでした。当社で営業の募集があった際、私は書店員の経験があったので営業ならわかるかもしれないと思って応募しました。編集のイメージはなかったんです。

――それがどうして編集に。

橋本:たぶん人の配置や会社の事情で、入社したらいきなり新書編集部へ行ってくださいといわれました。転職の役員面接で「君はちゃんと人文書を読んでいるんだね」と聞かれ、「読んでいます」といえるほどの自信はなかったですけど、そういう場だから「はい」というでしょう。その「はい」と力強く答えたのがよかったのかも(笑)。

――実際に仕事についてどうでしたか。

橋本:会議で編集部員が企画を出すわけですけど、みんなすごく知識があるなと思わされました。自分には知識もないし、すでに誰かがやっている企画が多々あって、にっちもさっちもいかない。みんな得意ジャンルがあるなかで、自分はなにが得意なのか。今、新書は人文系に限らずビジネス、自己啓発など様々ありますが、筑摩書房はやはり人文系中心だったので、それはほかの編集部員がやっている。むしろ実用寄りの企画ができないかと、できる方向を探りました。

――最初に手がけた本は、どんなものでしたか。

橋本:介護に関するものです。岩波新書でその種の本が売れていたので、似たようなものを作ろうという安易な考えでした。書店にいたから、どういうものが売れているかを気にする感覚はあったんです。編集者にはなかなかない“売らんかな”の精神が書店で身についたところはあります。

――担当して自分なりに手ごたえを感じた本は。

橋本:入社からけっこう時間が経ってからのものですが、坂爪真吾さんの『性風俗のいびつな現場』(2016年)。坂爪さんには、2014年に『男子の貞操』を書いてもらっていました。男性向けの性的な教科書を書きたいとおっしゃってできたものですが、こういうテーマの本は、普通に出したら営業的に厳しい。それで、なにかの目録にあった本のタイトルで「貞操」という言葉をみかけて、『男の作法』(池波正太郎)の逆バージョンじゃないですけど、そういうタイトルにしたらけっこう売れました。

 その後、坂爪さんから卒論のために性風俗業界を調べた話を聞いて、また本にしましょうとなった。デリヘルのオーナーと会うのに同行したり、待機部屋に一緒にいたりと取材を重ねたのですが、結果として本の最終章がすごくいい原稿になったんです。下世話な内容ではあるんですが、実はここにこそ自分が手をさしのべなければいけない対象があると著者が気づく。そして「風テラス」という「法テラス」(法的トラブル解決のための総合案内所)の性風俗業界版のようなNPO法人を始めるところで終わるんです。本はよく読まれたし、著者と同じものを見て話を聞く機会はそうないので、一緒に作った実感もありました。面白かったですね。人文書的な企画は先輩方が大量にやっているので入りこみにくいし、自分のポジションを探した時、そういう新書っぽくないところでやっていこうとしたんです。

――書店員時代につちかった売る感覚を編集者としての武器にしたわけですか。

橋本:筑摩書房では昔、営業を経てから編集になったと本で読んだのですが、書店員だったからその段階を飛ばせるというか、営業をやらなくても現場をわかっているというのはあったかもしれないですね。

――ずっと新書を担当してきたんですか。

橋本:編集部ではなにを作ってもいいので、単行本、文庫、学芸文庫も作りましたけど、主軸は新書です。

知的なものを求める人がウェブだけでは完結はしない

――入社当時に比べ、新書の状況はレーベルが増えるなど時代ごとに変化してきたと思うのですが、どのようにみていますか。

橋本:私が入った頃は、新潮新書が好調だったほか、『女性の品格』(坂東眞理子、2006年。PHP新書)や、ちくま新書の『ウェブ進化論』(梅田望夫、2006年)がベストセラーになるなど、よく売れるイメージがありました。『バカの壁』(養老孟司、2003年。新潮新書)が「読むラジオ」といわれたように聞き書きで作るのが全盛期でした。でも、どこかを境にロングのメガヒットが出なくなった。阿川佐和子さんの『聞く力』(文春新書、2012年)が、たぶん、すごく売れた最後だった気がします。

 一方、最近では中公新書の『言語の本質』(秋田喜美、2023年)や少し前の『応仁の乱』(呉座勇一、2016年)が、簡単な内容ではないのに広く読まれた。どうやってそういうゾーンに食いこむのか。ちくま新書でたぶん今一番売れているのが、『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一著、守屋淳訳、2010年)ですけど、あれも新書という器に入ることで、しっかりとした本でありながら広い層に通じるようになった。2021年の大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢栄一がとりあげられ、野球の栗山英樹監督が『論語と算盤』を愛読していたなど、いろいろなタイミングで本がとりあげられた。角川ソフィア文庫から『論語と算盤』は出ていますけど、原文は難しいので現代語訳にしたのが大きかったんです。

 ただ、新書全般としては、多く出してきたレーベルが点数を減らすなど、状況は厳しい。限られた人員で刊行点数を保つのは難しいし、売れない本を作っても誰も喜ばない。

――新書は雑誌化したと一時期よくいわれましたが。

橋本:そもそも雑誌が苦戦していて、雑誌のかわりにウェブを読むというのはあります。でも、新書のかわりにウェブを読むかというと距離感があるでしょうし、逆にウェブを読んだ人が新書を読む流れは、このインタビューもそうですが、あると思います。知的なものを求める人がウェブだけでは完結はしない。だから、新書が雑誌化したというより普通の本になった感じです。よくも悪くもなんでもありで、単行本ともう変わりがない。

――現在のちくま新書の刊行ペースは。

橋本:月6点です。かつては4、5点でしたけど、前編集長がたくさん作る方針にして、それを引き継いでいます。また、ほかにちくまプリマー新書を月3点出しています。

――編集部員は今、何人ですか。

橋本:ちくま新書で7人、プリマー新書で4人です。

――各人が月1冊ずつ出す感じですね。常時何冊分の企画を抱えているものなんですか。

橋本:社内で企画が通っているもの、原稿を待っているものは、1人あたりで2、30冊。それくらいないとたぶん回っていきません。プラス10から20は、企画を立てる途中のものがあるんじゃないかな。

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