【漫画】もしも漫画の登場人物が作者の存在に気付いてしまったら? 「哲学的で深い」メタ視点の創作漫画
――いいねが約3.5万も集まっていますね。
高村秀路(以下、高村):喜んでいい数字なのか正直わかりませんでした。でも担当編集さんに「バズってますね」と言われて、「これがそうなんだ」と。正直、数字が多すぎて実感が湧きませんでしたが、嬉しいですね。感謝です。
――なぜこのような漫画を?
高村:小学生低学年の頃に本のストーリーは私が読むから進んでいくから、私の人生も誰かが読むから進んでいくんじゃないかなと考えていたんです。それを改めて漫画に落とし込みました。
今は短期の連載として『うらうらひかる 津々に満つ』を描いています。ですが、それが決まるまではネームを出しては返されの日々で。3年ほど下書きもできず、「これは自分で描かないと、永遠に完成まで持っていけない」と思って制作したのが本作だったんですね。去年の夏に描き始めたのですが、冬に連載が始まってから忙しくなり、そこからは少しずつ進めて完成に至りました。
――とすると、主人公の女性はご自身がモデルなのでしょうか。
高村:そうなんですかね……。でも「誰でもあるし、誰でもない」感じにしようと思ってはいました。
――吹き出しの使い方で、作者を表現している点も興味深かったです。
高村:アイデアというよりも、自然にああいう形になりました。四角いモノローグ自体がキャラクターのような位置付けで描いています。キャラだから上や下から見たり、パースも付いたりするという感覚。あとは終盤における写真を線画にした場面の加工具合に苦戦しましたね。写真を撮って線を抽出すると、壁のシミとかまで線として出てしまうので、その調整が難しかったです。
――これも漫画制作ソフトで出力されているのですか?
高村:はい。「CLIP STUDIO PAINT」を使いました。友達に撮ってもらった自分の写真ですね。作者の場面になる展開は「漫画のなかのキャラクターと、それを読んでいる私」という構図を描きたかったんです。
――カラーになるエンディングも独特の読後感があります。
高村:「読者の人も読まれているかもよ?」という、もう一段階上の現実を用意しました。
――「漫画に色が付く」ことの意味を考えさせられました。このようなことを幼少期から考えていたのですか?
高村:そうですね。車に乗って外の人を見ながら、「今私が見たから彼を認識できているけど、その前から彼はいて、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、という生活があるんだな」ということを不思議に思っているような性格でした。それについては人から影響を受けた訳でもないので、もともとの性質だと思いますね。
――もし、高村さんの人生に作者がいるとしたら、どのように行動します?
高村:それが描きたかったことのひとつです。作者はいて、全部決まっていると思うんですよ。決定論的な。「自由意志はないのでは?」ということを描きたかったし、そちらの方が世界に対する実感として、しっくりくるんですよね。
人格を持ったキャラクターのような作者ではなく、原理原則のようなものを「作者」というのではないかなと。私が制作する意志を持つかさえ、決まっている気がするんですよね。それも含め、考えていることを説明するのが苦手なので、言語化できない部分を漫画として描いているのだと思います。