スピッツにとって“寄り添う”とは何を意味するのか 「キツネノボタン」「見知らぬ糸」……アルバム『kettle』の眼差し
念力だ。カラフルな草花と蝶の刺繍が縫い込まれたドレスの女性が、指をぱっと広げて、ケトルを宙に浮かせている。ハンドパワー。11月25日にリリースされる、スピッツの18作目のオリジナルアルバム『kettle』のジャケット。前作『ひみつスタジオ』では、画家junaidaがデザインしたロボットがいた。今作でそのjunaidaの絵柄は、ドレスの刺繍として纏われている。
アルバムに収録される全13曲のうち、先行配信されているのは3曲。2025年10月の「灯を護る」、2026年8月の「見知らぬ糸」、そして11月2日に配信されたばかりの「キツネノボタン」だ。この3曲を並べると、今のスピッツの視線の先が見えてくる。
まずは、スピッツにとって初のTVアニメ書き下ろし楽曲となった『SPY×FAMILY』Season 3(テレビ東京系)のオープニング主題歌「灯を護る」。とりわけ胸を突くのは〈気がつけば 指先も 汚れたままで/錆びついたドアノブいくつ回したっけ?〉という2番の冒頭だ。ここで主人公は、自分が無垢でも潔白でもなく、不器用さや過ちのせいで同じ場所での足踏みを繰り返してきたことを認めている。それでも汚れた指先のまま〈やり直しながら進もうか〉と呟き、〈いつか僕ら赦されるなら〉と条件付きの赦しを祈る。繊細なメロディの足元では、力強いドラムが〈切なさをバネに変えて〉起き上がるための鼓動を刻んでいる。この曲は、鉛色の空を魔法のように晴らしたりはしない。
続く、ドラマ『Tシャツが乾くまで』(TBS系)の主題歌「見知らぬ糸」。主人公は〈泥の涙は隠して/気軽な感動に溺れた/濁り無き望みだけ美しいと信じたけど〉と、かつての潔癖さを打ち明ける。そして、終盤で〈間違う糸はほどけて また焦がれて/明かされないならペテンでも構わない〉と歌うのだ。〈濁り無き望み〉だけが美しいのではない。結び目を間違えても、ほどけた糸はまた別の見知らぬ糸と絡まり、予定調和の道では決して出せなかった〈新しい色〉に編まれて、やがて〈薄い衣〉となる。失敗もペテンも丸ごと呑み込んで、自分を編み直せばいい。「灯を護る」と「見知らぬ糸」の2曲はどちらも、汚れた指先や間違った結び目を抱えたまま生きることを肯定している。
この2曲のタイアップに際して、草野は対照的なことを語っている。『SPY×FAMILY』については、「常にストーリーの根底に流れる『哀しみ』があり、そこから逃げない歌にしたい」(※1)。一方、2組の夫婦の複雑な関係を描く『Tシャツが乾くまで』については、「あえて『リンクし過ぎない』ように」(※2)。一見、逆のことを言っているようだ。だが、どちらのコメントにも「寄り添う」という言葉が出てくる。スピッツは、誰かの痛みに寄り添う。けれど、その心のなかまでは踏み込まない。近すぎず、遠すぎない。対象に直接触れるのではなく、少し離れた場所から温かい眼差しと気配を送ること。それはまさに、手を触れずに念力でケトルを浮かせてみせる、あのジャケットの女性の姿そのものだ。
不完全なまま生きることへの肯定と、触れずに寄り添う距離感。その2つが最も表れているのが、「キツネノボタン」だ。キリン「午後の紅茶」のCMソングとしても流れるこの曲は、軽やかなギターポップに乗せて、どこにいても周囲に馴染めない“はぐれ者”の独白から幕を開ける。〈どこにいても違う気がしてた 楽しげな誰かの浮世で/運命だとか鼻で笑ったり でも本当は探してたんだけど〉。輪の中心ではしゃぐこともできず、斜に構えながら、そのくせ、誰よりも愛されたいと願っていた主人公。そんな彼を救うのは、劇的な励ましの言葉でも、熱い抱擁でもない。〈君は寝そべって僕も真似した/スズメの声で微睡んだね〉――。上から手を引っ張って、早く立ち上がれと促すのではない。歩くのをあっさりやめて、隣で同じように寝転び、目線を同じ高さまで下げる。ささやかな寄り添いだ。タイトルを見る限り、「ちっちゃな無敵」「変なトモダチ」「逸脱希望サバイバー」といった収録曲にも、同じ眼差しが通っているのだろう。はぐれ者への水平な眼差し。それは、スピッツが変わらず持ち続けてきた芯だ。
〈君は寝そべって僕も真似した/キツネノボタンが咲いてたね〉。ふたりが寝そべったその地面に咲いていたのが、タイトルにもなったキツネノボタンだ。田んぼのあぜ道や道端に生える、黄色い小さな野草。花のあとには金平糖にそっくりな実をつけ、“コンペイトウグサ”という愛らしい別名も持つ。ところが、この植物は有毒成分を含む毒草で、触れると皮膚がかぶれることもある。しかも、花言葉は「ひとりぼっち」と「騙しうち」。それを知って2番を聴くと、景色が変わる。〈ずっと憧れて 取り残されて 歩き出してもすぐに躓いて/閉じ込めていたこげ茶のメモリーズ/普通に話せそう ありがとうね〉。こげ茶は、かさぶたの色。心の奥に閉じ込めてきた、古い傷の記憶。「灯を護る」の汚れた指先や「見知らぬ糸」のペテンと同じく、生きていれば、誰もがいつのまにか抱えてしまう毒や失敗の記憶である。それが、隣に寝そべる〈君〉のおかげで、〈普通に話せそう〉になる。毒を消すのではない。毒を持ったまま、話せるようになるのだ。金平糖のようなかわいらしさと毒を同時に手渡してくる、その手触りこそが、35年以上にわたって愛されてきたスピッツの本質なのだろう。
アルバムの最後には、「萌黄色」という曲が置かれている。萌黄色とは、春先に木々が芽吹く時の、若葉の黄緑色のことだ。まだ聴くことのできない曲だが、そのタイトルだけで十分に雄弁である。「灯を護る」の鉛色の空、「見知らぬ糸」の泥、「キツネノボタン」のこげ茶。スピッツは、傷と停滞と足踏みの色をひとつも切り捨てない。見知らぬ糸のように編み上げたうえで、最後に若葉の色を芽吹かせてみせるのだ。そういえば、ジャケットの彼女のドレスにも、布地いっぱいに色とりどりの糸で縫い込まれた草花が咲いていた。
メジャーデビュー35周年を迎え、来年には結成40周年を控えるバンドが、今なおアルバムの最後に若葉マークを掲げてみせる。思えば、新しい葉が芽吹くためには、古い葉が落ちて土へと還る時間が必要だ。同じ場所で足踏みをしているように見える停滞期や失敗にまみれた泥臭い時間こそが、萌黄色を生み出すための豊かな養分となる。ポップミュージックの中心にいながら、常に「はぐれ者」の視座を失わなかったスピッツ。その隣で、地面に寝そべったまま、11月25日を待つことにしよう。
※1:https://spy-family.net/tvseries/music/music_op_season3.php
※2:https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=22818