Mrs. GREEN APPLE『POPS』評 Vol.3:青木優 バンドへの野心と遊び心が詰まった圧倒的な16曲、3人だから歩める挑戦の道
Mrs. GREEN APPLEによる話題のニューアルバム『POPS』を連続レビューしていく。第3弾は、ライター・青木優氏によるレビューをお届けする。(編集部)
バンドへの“ポジティブな野心”から生まれた濃密なアルバムに
ああ、背負おうと、引き受けようとしてるんだな。たしかに今のあなたたちなら、そこまで言い切る資格も、それをやるだけのパワーも、充分にあると思う。でも、そこまで踏み込んでしまって大丈夫なの? 無理しすぎて、のちのち辛くなってしまうかもしれないという怖さは感じない?
……というのが、しばらく前に『POPS』というアルバム名を知って、一番最初に頭に浮かんだことである。まあ、老婆心ってやつだ。ただ、この思いは、実際にアルバムを聴いて、ちょっと変わった。このバンドなら乗り切るだろうな、と。あるいは、彼らならそんなプレッシャーからうまく身をかわすんじゃないかな、と。そんなふうにも感じた。
アルバムタイトルが示す意味については、多くの人が意識するところだろう。“POPS”とは、流行歌だとかポップソングという解釈もできる。僕は、そうした一般的な意味合いよりも、彼ら自身の覚悟というか、決意のようなもののほうを強く感じた。すでに各所で確認できる本人たちの言葉でも、やはりそうしたニュアンスのことが語られている。
そう、フェーズ3では最初となるこのオリジナルアルバムにおいて、Mrs. GREEN APPLEの3人は覚悟を決めて音楽に臨んでいる。自分たちが置かれた超メジャーな存在であるという状況を真っ向から受け入れ、腹をくくった上で音楽活動に向かうこと。大衆に向けて、大きな使命を背負って活動していくこと。『POPS』には、そんな意志が内在している。そして自分たちのほうを熱い視線で見つめる無数のファンやリスナーに対してはもとより、何気なく曲を聴いた、たまたま気になった、耳に入ったような人たちにも開かれた音楽であること……その全員に届く作品であることが志向されている。
バンドのニューフェーズを宣言するかのようにアッパーな「Brand New」から始まる16の楽曲はどれも強度が高く、聴くほどに、その強さがこちらの心と身体に響く。そうした揺らぎのないありように、彼らの覚悟が隅々にまで浸透しているのを実感する。その音は圧巻そのものだ。
特に前半、ギターロックの「共犯」やディズニー音楽のようなオーケストレーションが響く「シンデレラ」、複雑なリズムに加えてコーラスや楽器の鳴りにサイケがかった感触がある「ア・ポステリオリ」あたりはジェットコースターのような勢いに呑み込まれそうである。ただ、そこかしこにシュールだったりファジーだったりする感覚も織り込まれていて、各曲の構成は決してストレートではない。先ほどサイケと書いたが、本作の多くの曲ではバンドサウンドの中で特にストリングス的な音色が効果的に、ダイナミックに駆使されていて、カラフルな高揚感とともに酩酊的な香りを振りまいている。その上で一例を挙げると、「ア・ポステリオリ」で終盤に差しかかる前、大森の歌を残しながら細やかな3拍子になる局面や、そこからコーラスの強い歌声が加わっていく展開などには、中期以降のThe Beatles、あるいはQUEENといった偉大な先達たちの影を感じた。ミセスは、ロックバンドでありながら世界的にポピュラーな支持を得た彼らのアプローチを貪欲に吸収し、それを鮮やかに発展させたエレメントを現代のJ-POPのど真ん中に取り込んでいるのではないだろうか。
しかしミセスの場合は、楽曲そのものに圧倒的な強度があっても、それらは決して傍若無人な歌になることを意味しない。むしろそれぞれの曲には、大森元貴(Vo/Gt)という人の優しさや心の弱い部分……時には皮肉めいたところや臆病な気質までがのぞく。
たとえば「ア・ポステリオリ」では、〈生きる程に/人は腐っていく〉〈ずっと私はね/あなたのボロが出る/瞬間を待ってる〉と毒を吐くような表現がある。また、アルバムの終盤では〈もういいや〉〈もういっそ〉と諦念を吐露する「瞞し」、〈あの子が死ぬほど羨ましい/だってだって全部持ってるんだもん〉とジェラシー渦巻く「禁じた遊び」といった楽曲が連なっている。まるでフォークソングのような側面もあって、人間の影の部分もちゃんと描いている作品なのだ。
現在のミセスというバンドの姿勢そのものに揺らぎはなくとも、大森が唄う感情の根底には、常に揺らぎがある。そんな人間くささも、彼のソングライターとしての魅力だと思う。
なお、当アルバムはいったん14曲で完成しかけたものの、『MUSIC AWARDS JAPAN 2026』にて最優秀アーティスト賞を受賞した6月の夜に、「共犯」と「禁じた遊び」が急遽書き足されたとのこと。アルバムをトータルで聴くと、要所に置かれたこの2曲の存在の大きさを感じる。
そして今トータルと書いたが、メンバーはこのアルバム1枚の16曲、およそ66分を通じての表現にこだわったようだ。ゆえに、曲間の空白の時間の長短に至るまで、作品全体の構成を楽しめるアルバムである。昨今はフルアルバムに執着したり、収録された全曲をトータルな作品として提示するような動きは、かつてに比べてひどく減った。だが、ミセスはそんな音楽の作り方に敢然と挑み、ここで見事にものにしている。
誰もやろうとしていないこと。チャレンジしようにも、そうそう実現などはできないこと。今のミセスは、あえてそうした“獣道(けものみち)”に踏み出しているように感じる。そしてこのことは音楽制作だけでなく、3人が繰り広げる活動すべてに通底していると思う。このところの彼らは特殊なゾーンに入りっぱなしで、まるでランナーズハイのような状態にあると思っていたが、それだけではなかった。このバンドはしっかりとした意志を持って、新しい道を突き進もうとしている。そこにあるのは、ポジティビティと野心、それにもうひとつ付け加えるなら、無邪気な遊び心だろう。
最初に書いた僕の心配は、どうか老婆心のままで終わってほしい。何をやっても結局はバンドで、音楽好きで、やはり人間くささを忘れないミセス。彼らの長い旅の無事を、これからも祈っている。