つやちゃん 寄稿:きゃりーぱみゅぱみゅはポップなのに、なぜ泣きたくなるんだろう。
きゃりーぱみゅぱみゅを聴くと、なぜかいつもちょっとだけ、寂しい気持ちになる。
私の好きな「にんじゃりばんばん」はヨナ抜き音階を思わせる旋律を持ち、「原宿いやほい」も歌謡曲のような節回しでできている。MVを観ると、かわいくて少し怖い映像が人工的な造形とともに迫ってきて、その時は夢中になりながら、曲が進むたび次第に胸が締め付けられキュンとなる。きゅん。
きゃりーの登場によって、皆が「かわいい」について語るようになった。なぜなら、きゃりーはかわいいから。でも、かわいいって何だろうか。小さいこと、未完成なこと、少し頼りないこと。そういうものに心が動くのが、かわいいの面白さ。そして、その感性は、日本のキャラクター文化にも深く流れている。もちろん、きゃりーにも。
日本のキャラクターは、なぜ感情を演じすぎないのだろう。すべてが無表情というわけではないけれど、思い浮かべると、やはり感情が抑制されている。例えば、こけし、市松人形、招き猫。古くから親しまれてきたこれらの存在は、人間の姿や人格を感じさせながらも、激しく笑ったり泣いたりはしない。現代に目を向けても、ハローキティやリカちゃんなど、多くのキャラクターは豊かな設定を持ちながら、自らの感情を前面に押し出すことは少ない。この構造は、能面にもどこか似ている。能面そのものは笑わないし泣かないけれど、角度や光、演者の身体によって、見る者は悲しみも喜びも読み取る。
欧米のキャラクターを見ると、たまにぎょっとする。人形やぬいぐるみはしばしば、生命を獲得することを目指すから。バービーやケアベアといったキャラクターも、物語の中では豊かな感情を持つ主体として描かれることが多い。『トイ・ストーリー』では、おもちゃは人間のいない場所で生を吹き込まれ、笑い、怒り、嫉妬し、葛藤する。『ピノキオ』では、人形は本物の人間になることを願う。それに比べると、ハローキティはいつだって入れ物みたいだ。生命と記号のあいだ、あるいは生き物と人工物のあいだに留まり続けるキャラクター性が、繰り返し生み出されているように感じられる。
つまり、日本のキャラクターは生き物と人工物のあいだに留まり続けることで、見る側の感情を受け止める器になっているのではないか。そう考えると、きゃりーぱみゅぱみゅもまた、歌手というよりキャラクターとしてあるように思えてくる。彼女は歌を歌う人である前に、私たちが感情を預ける「入れ物」なのではないか。
他者の感情に寄り添い、請け負うーー“きゃりーぱみゅぱみゅ”の本質
ただ、現在のきゃりーは、そんな「入れ物」の外側にいる自分も、以前より見せるようになった。結婚や出産を経て、ライブのMCやメディアでは、自分自身の考えやスタンスを語ることも増えた。「きゃりーぱみゅぱみゅ」というキャラクターの向こうから、ひとりの人間としての彼女が以前よりも見えている。それでも、ステージに立ち、音楽が鳴り始めると、彼女は再び「きゃりーぱみゅぱみゅ」になる。もしかすると今のきゃりーは、キャラクターに閉じ込められているのではなく、自分の意思でその「入れ物」に入っているのかもしれない。
興味深いのは、そうやって自ら「きゃりーぱみゅぱみゅ」になるときも、彼女が感情を過剰には演じないことだ。いつも笑顔だけれど、歌唱でも表情でも、自らの内面を前面に押し出すことはあまりない。魂を振り絞るように歌うこともなければ、激情をあらわにすることもない。
そこへ流し込まれる中田ヤスタカのサウンドは、未来的なエレクトロニック・ミュージックとして語られることが多い。しかし、旋律だけを取り出してみると、そこには驚くほど日本的な情緒が息づいている。歌謡曲を思わせるベタな節回しや、童謡のような反復。その郷愁を帯びたメロディが、電子音の奥で切なさを喚起する。大抵のシンガーなら、その切なさを歌声や表情によってさらに膨らませるだろう。でも、「きゃりーぱみゅぱみゅ」はそうしない。切なそうにも歌わないし、泣きもしない。ひとりの人間として自分自身を語るようになった今も、ステージではその感情を自分ひとりのものにしていないように見える。だからこそ、あれほど楽しく、派手で、かわいい世界でありながら、その情緒は誰かひとりの感情として完結しないのだろう。余白として残された感情は、そのまま受け手へゆだねられる。
きゃりーの曲を聴き、映像を観終えたあと、胸がキュンとなり少し寂しい気持ちになるのは、誰もいない遊園地、深夜のショッピングモール、ネオンだけが光るゲームセンターを目にしたときの感覚にどこか似ている。人工的にデザインされた空間――それらは美しいままそこにあるのに、人間の気配だけが希薄になっている。その静けさを前にすると、私はそこへ、たっぷりの情緒を注いでしまう。
切なさは、人間ではなく世界へ宿ったのだろう。あのカラフルな街並みに。あのポップなネオンに。あの誰もいない遊園地に。私たちがきゃりーぱみゅぱみゅを聴くと少しだけ寂しくなるのは、世界に染みこんだ切なさを、知らず知らずのうちに拾い集めているからなのかもしれない。