Amazon Music『PRODUCERS』インタビュー

Seihoが制作を通して考えたプロデューサー論 KID FRESINO、ceroら参加した『CAMP』での“気づき”

 Amazon Musicがプロデューサーにフォーカスした新シリーズ『PRODUCERS』をスタートさせた。この企画は、ポップカルチャーにおけるアーティストの活動が映像やファッションなどにも拡大していることに注目し、それらに総合的に取り組むプロデューサーに焦点を当てるというもの。その第一弾として、プロデューサー/DJのSeihoが、ヒップホップやR&Bアーティストらを迎えた5曲入りミニアルバム『CAMP』をAmazon Musicで独占配信する。

 Seihoは、自身の活動や、国内外のアーティストのプロデュース/リミックスワークに加えて、音楽にとどまらない様々な表現方法を得意としてきた人物だ。近年はおでん屋『そのとうり』や和菓子屋『かんたんなゆめ』のプロデュースでも知られている。

 そんな彼に、今回のミニアルバム制作の裏側や自身のプロデューサー論、そして音楽を超えて様々な文化を横断することの魅力について語ってもらった。(杉山 仁)

そもそもプロデューサーって何だろう?

ーー今回Amazon Musicの新企画『PRODUCERS』の第一弾として、Seihoさんのミニアルバム『CAMP』がリリースされました。制作にあたっては、プロデューサーに焦点を当てる企画の中で、「ヒップホップアルバムを作ってほしい」というオーダーだったそうですね。最初はどのようにアイデアを練っていったんですか?

Seiho:実は今回、「それ、僕じゃなくないですか?」って、最初にちょっと悩んだんですよ(笑)。僕はもともとヒップホップのプロデューサーではないし、プロデューサーに焦点を当てる企画だとしても、自分ではそんなにプロデューサーっぽくないタイプだと思っていて。

ーー確かに、Seihoさんの場合はアーティストとしての顔とプロデューサーとしての顔の両方に枝が広がっているイメージですよね。

Seiho:なので「そもそもプロデューサーって何だろう?」「僕の存在ってどういうものだろう?」ということを、最初の段階で考えました。でも、色々と説明をもらう中で、「この企画でがっつり職業プロデューサーに話が行くのも傾向としては普通になってしまうし、ヒップホップど真ん中の人に依頼すると、ヒップホップアルバムしかできないーー確かに、こういう変な奴のところに話がくるよな」と思うようになっていったんです。

 僕もキャリアが10年ぐらいになってきて、最初にデビューした頃って大学生ぐらいでしたが、今思い返してみれば、あの頃もそういう立ち位置だったと思うんですよね。何か特定の居場所にいるのではなく、色々なジャンルに新しい風として投入される役割だったな、と。自分の役割はずっとそうだったと考えると、こういう話が来るのも理解できました。

ーーなるほど。むしろそれが自分らしさかもしれない、と。実際、『PRODUCERS』と言われても、いわゆる職業プロデューサー的なものにならないのはSeihoさんっぽい気がします。

Seiho:そのうえで、今回考えていたのは「表と裏」みたいなことでした。僕はもともと、音楽業界の中での裏方と表方の中間にいる人たちへの憧れがすごくあって、「自分もそういう立ち位置にいたい」という気持ちが強いタイプなんです。音楽をはじめた小学生の頃、最初に好きになったギタリストがコーネル・デュプリーだったんですけど、彼がメンバーだったStuff(70年代~80年代前半のアメリカのフュージョンバンド)って、スタジオミュージシャンの集まりだったじゃないですか? 僕はあの「光ってる裏方」的な雰囲気が好きで、それは今も変わっていないんだと思います。

 今回参加してくれたミュージシャンについても、「メインもサイドも両方いける人」に声をかけていきました。メインで食べても美味しいし、サイドで食べても美味しい。そして、僕自身もそういう立ち位置にいたい、という感じです。曲名にクレジットされているミュージシャンだけではなく、他に色々と動いてくれているスタッフや、映像やアートワークの人たちも含めて、そういう視点で組んでいきました。

ーーミュージシャンもその他のスタッフも含めて、アーティスト性と裏方気質の境界線が曖昧になっているような集団、ということですか。

Seiho:そうです。そもそも、僕が『PRODUCERS』と聞いて最初に想像したのも、「誰かをプロデュースする」ことではなくて「セルフプロデュース」のことだったりしたので。

ーー具体的には、誰から声をかけていったんですか?

Seiho:誰からだったかな……。でも、鎮座DOPENESSさんには絶対に参加してほしいと思っていました。むしろ、彼がいてくれないと、企画自体が崩壊するんじゃないかと思っていたくらいです。鎮さんとはずっと「一緒に曲を作りたいね」と話していたんですけど、2人とも気分屋なのでなかなか実現しなかったんです。でも、今回の企画をやろうという話になったあとで現場が一緒になって、そのとき考えていたことを色々と話しました。

ーーどんな話をしたんですか?

Seiho:僕が思っているヒップホップのよさというか……模倣とオリジナリティについての話なんですけど。たとえば日本でヒップホップをやっていると、どこまで行っても自分たちのことをオリジナルって思えない面もあると思うんです。アメリカで流行っているものを取り入れたり、海の向こうのものを解釈しようとすることで発展してきた音楽なので。でも、その中で同時に日本のキッズたちに向けて「オリジナリティとは何か」ということも説明する義務がありますよね。このバランスが大事だと思っていて、そういう「オリジナルとオリジナルじゃないことの境界線」についてや、もう少し哲学的なことまで色々話しました。日本語ラップの系譜やその文化へのリスペクトも踏まえつつ、でも自分たちが好きでやっているこのカルチャーはアメリカから来たものである、という話を2~3時間深く話しました。そのあとに鎮さんが送ってくれたリリックが、ほぼそのまま「iLL feat. 鎮座DOPENESS」になりました。トラックに関しては、どの曲も4~5回書き換えています。実は今回、一度曲が完成してビデオも撮り終わったタイミングでも、「何か違うな」と思ってトラックを作り変えたりしたんです。

ーー本当にギリギリまでやっていたんですね。

Seiho:制作中は新しいインプットを極力入れないようにするんですけど、「曲が出来上がったから新譜でも聴こう」と思って色々と聴いていたら、「何かヌルいな、自分の曲……」と思いはじめて。そこから、なぜか怒りのモードになって、最後の4日間ぐらいで全部作り変えました(笑)。僕の場合、「曲の中で鳴っている音がどういうバランスでそこにあるのか」がすごく重要で、「ドラムの音がちょっと違う」と思ったとき、その音を選び直すよりも曲自体を作り直した方が早かったりするんですよ。ドラムの音をひとつ変えると、ハイハットも、ベースも……と、延々作業してバランスが崩れてしまうので。

ーーじゃあ、最初のバージョンから結構変わっている?

Seiho:結構変わりました。中でもまったく違うものになったのは「SHAKE feat. ASOBOiSM, BTB特効, LUVRAW」ですね。この曲は最初にASOBOちゃんがボーカルを入れてくれたときは四つ打ちで、BTBさんが入ってくれたタイミングでもっとガラージっぽいものに変えたんですけど、それだと「今っぽ過ぎるな……」とちょっと恥ずかしくなってきてしまって(笑)。そこから少し四つ打ちに戻したバージョンでビデオ撮影までしたんですけど、最終的には怒りのモードを経てまったく違うものになりました。

ーーSeihoさんとLUVRAWさん、BTB特効さんは昔「Lady Are You Ready」でも共作していましたよね。

Seiho:そうですね。2人がLUVRAW+BTBで活動していたときに大阪で共演して、僕の曲を作ってくれたり、2人でいるときに仲良くしてくれたり、僕が2013年に出したアルバム『ABSTRAKTSEX』のリリースパーティーにも出てもらったりしていて。なので、2人が解散してからも、どこかで一緒にやってもらえないかな、とずっと思っていたんです。そこに今回ASOBOちゃんが加わってくれて、より新しいものになったと思います。この曲は、作っているうちにLUVRAWさんがブラックビスケッツ(90年代のTV番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた音楽グループ)みたいになり、それが「めっちゃいい!」って。

ーーおおお!(笑)。

Seiho:ブラックビスケッツって、すごくマスなところにいたのに、同時にJamiroquaiのコスプレであったり、すごく変な存在だったと思うんです。当時のタイムラグを調べてみたんですけど、ブラックビスケッツのデビューシングル『STAMINA』が1997年12月、『Timing』が1998年4月で、Jamiroquaiの『Travelling Without Moving』(1996年)のヒットから1~2年ぐらいしか経っていないんです。なので、リバイバルでもないんですよね(笑)。アシッドジャズ的なもの以外でも、当時はSMAPもガラージや2ステップをやっていたし、平井堅さんだってそういう音楽を取り入れていて、90年代にはJ-POPガラージみたいなものがたくさんあったと思うんです。その時代のことを考えていたら、一旦ガラージになったりと色々変わっていき。最終的には「もっと自分でしか作れないバランスで組み立てよう」と思い、今の形になりました。

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