SEEDAがラップシーンに与えた衝撃とは何だったのかーー日本語ラップバブル期~『花と雨』誕生まで振り返る

 そんな日本語ラップシーンにおいて、USメジャーのように煌びやかなラップをするグループがDOBERMAN INCだった。彼らは確かに人気を集め、対局のスタイルである同じ大阪の韻踏合組合との確執も話題になった。しかし、ライミングやフロウをUSのラップに近づける彼らの試みは、シーンの風向きを変えるまでには至らなかった。それでもなお、DOBERMAN INCのハイファイなビートが話題となり、プロデューサーのBACHLOGICの名前は一気に広まり、メジャーからも声がかかるようになる。

DOBERMAN INC『FIVESTAR LINERS』

 SEEDAに話を戻すと、当時の彼のラップは異端だった。帰国子女が故にリリックには英語が多く、日本語も英語の発音に寄せていた。フロウは抑揚が激しく力強いのだが、時に詰まって聞こえる程の早口でもあった。要するに一聴すれば巧みさは伝われど、内容が伝わり難かったのだ。バイリンガルラッパーと若い頃から注目されながらも、日本語を大事にする潮流の中ヒットには恵まれなかったSEEDAだが、彼の素晴らしい点はリリース毎にスタイルがアップデートされることにある。徐々にSEEDAのラップは聴き取りやすくなり、2006年9月にリリースされた彼が属するSCARSの『THE ALBUM』では異様な早口のバイリンガルラップとは別物に進化していた。このアルバムでは「SHOW TIME FOR LIFE」と「ばっくれ」の2曲がBACHLOGICプロデュース曲であり、SEEDAとBACHLOGICの相性の良さを感じることができる。だがそれよりも『THE ALBUM』が大いに話題となったのは、彼らがUS顔負けのハスリングラップ(違法ドラッグ売買などの闇社会を扱ったリリックを用いたラップ)の概念を持ち込んだからだ。確かにこれまでも日本語ラップにおいて、薬物売買はトピックとして登場していた。比較として挙げるなら2005年に漢が出したソロアルバム『導~みちしるべ~』は右傾化する日本語ラップを象徴するような作品で、フロウもトラックも不気味さが魅力ではあるが単調さも際立っていた。一方のSCARSが薬物を捌く日常をラップで描けば、多彩なフロウと個性あるパンチラインが飛び交い、スリリングなハスラーの感覚は色鮮やかにリスナーの脳裏に映された。そしてハスラーのラップこそがアメリカのラップの主要トピックでもあり、SCARSの音楽はビートやフロウ以上に中身がアメリカ的だったのだ。その表現力とキャラクターに、彼らがプッシャー(売人)上がりのラッパーであることは誰の耳にも明白な程のリアリティがあった。彼らをアメリカ被れと揶揄する者はいなかった。日本語原理主義とも言えるアンダーグラウンドのラップシーンが、変わり始めた。

SCARS『THE ALBUM』

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