竹内まりやは“自己実現”と“家庭”を両立したパイオニア 40年以上も愛され続ける要因を考える
竹内の楽曲を聴いていると、いつも明るく「大丈夫だよ」と言ってくれる親友と話しているような気持ちになるのは、筆者だけだろうか。泣きたいときには「わかる、わかるよ」と肩を寄せ合い、「でも好きになれるって素敵なことじゃない」と視点を切り替え、いつしか「あなたのいいところは、あなた自身も知っているはずでしょ」と勇気づけられるような……そんな感覚だ。
若いころの真っ直ぐな想いも、大人としての対応が求められる苦しみも、過去の恋を思い出して人恋しくなってしまう弱さも……全部知ってくれているような心地よさ。一旦、すべてを受け止めてくれるような懐の深さ。そして、喜怒哀楽のある日々こそ、〈毎日がスペシャル〉だと歌ってくれるポジティブさ。まるで、竹内の楽曲そのものが、友だちのように一緒に年齢を重ねていくのかもしれない。
竹内は、公私共にパートナーである山下の存在を“ベスト・オブ・ベストフレンド=親友”と言い表している。もしかしたら、彼女の中では“愛”という意味で、恋愛と友情も近いものなのかもしれない。不倫ソングや、かつて愛した人と再会した苦しい歌も、どこか爽やかに聴こえるのは、その相手と友だちのように認め合って、親友のようにそばにいられたらいいのに……という願いが叶わなかった寂しさを歌っているからではないか。それは、いつか必ず去ってしまう、永遠の青春を願う切なさに近い。親友と笑ったり泣いたりする時間が、いつの時代も愛しいように、竹内の楽曲もいつだって優しくて少しだけ胸が痛くなる普遍的な魅力を放つのだ。
〈いつかは誰でも この星にさよならを する時が来るけれど〉
2009年に発表し、卒業式や合唱コンクールなどでも歌われるようになった楽曲「いのちの歌」は、竹内がシンガーとして年輪を刻んできた今だからこそ紡ぐ歌詞が胸に迫る。限りある人生において、絶望する日もあるけれど、それでも誰かと歌えば、かけがえのない喜びを見出すことができるはず、と歌うのだ。私たちもいつか必ず、この星にさよならをする時が来る。だが、その瞬間まで、竹内の楽曲は私たちの「心の親友」として寄り添ってくれるに違いない。そして、命が継がれていくように、竹内の楽曲も世代を越えて歌い継がれていくのだろう。
(文=佐藤結衣)