生田斗真、TOKIOも驚愕のエリート経歴を披露 「“第2のキムタク”って書かれたんですよ」

 国分が「レギュラー番組があって、そのあともエリート街道まっしぐらな訳だよね?」と確認すると、「そうなんですよ」と深く頷く生田。入所した翌年の1997年には、NHK連続テレビ小説『あぐり』で役者デビューを果たす。当時を振り返り、生田は「台本なんて見たこともないし、こうやってカメラがいっぱいある中でお芝居をする。そもそも“お芝居って何ですか?”っていう世界だったし」とコメント。「(『あぐり』で)“泣いてください”のシーンがあって、どういう風にやればいいんだろう? って思ったんですけど、本番すっごい気持ちが入っちゃって、ブワーって涙出たんですよ」というエピソードを語る生田は、「すげぇじゃん! と思って。あ、芝居ってこうやるんだって」と芝居の感覚を掴んだ瞬間だったことを明かす。続けて、「そこでちょっとできちゃったもんだから、いまだに多分(芝居を)続けてるっていうのがあるんですよ」と説明した。

 国分が「周りはなんか言ってたの?」と尋ねると、「新聞に取り上げていただきまして、“第2のキムタク”って書かれたんですよ」と声を弾ませる生田。「もう、マジ!? って思って」と当時の心境を笑顔で口にする。

 また生田は、ジャニーズJr.としても活躍。朝ドラ出演の1997年には、相葉、松本、二宮の3人と“MAIN”というユニットを結成していた。「頭文字なんですけど、松本、相葉、生田、二宮で“MAIN”っていう(ジュニア内)グループが……」と明かすと、国分は「すごい! これでもう売れる」と大興奮。そこで長瀬智也が「そういう欲望はあったの? グループの一員になりたいっていう」と質問すると、生田は「“第2のキムタク”って言われてますから。そりゃ(グループデビュー)あるだろうなっていう」と頷いた。松岡が「MAINって言われてるけど、お前たち3人じゃないからな。俺だからなって思ってた?」と聞くと、生田は笑いながら「本当のメインは俺だよって(思ってた)」と冗談を言い、スタジオを沸かせた。

 そんな生田だが、1999年に嵐がデビューしたことで、入所から3年後に伸びきった鼻をへし折られたという。「本当に何となくジャニーズ事務所に入ってしまったので、部活感覚がずっと抜けなかったんですよね。で、嵐がバンッとデビューした時に、みんなずっと横一列で楽しくワイワイやってたのが、前後ができるわけじゃないですか。それで、あ、これって遊びじゃなくて仕事だったんだって初めて気づいて、遅かったですけどね、僕は」と赤裸々に告白。国分が「それはじゃあ、鼻をバキッて折られるわけでしょう?」と質問すると、生田は「完全に」と笑った。

 この人生の転機に光を射してくれたのが松岡だったという。2002年に上演された劇団☆新感線プロデュースの舞台『スサノオ~神の剣の物語』で松岡と共演したことにより、「お芝居ってこんなに面白いんだ!」と初めて気づいたのだとか。そのエピソードを聞いた国分が「ちょっと待って、第2の木村拓哉って言われていたわけじゃない?」とツッコミを入れると、生田は「もう、すぐ諦めました。全然ムリだなって」と即答した。そんな芝居の楽しさを実感した生田は、明確な目標ができたという。「CDデビューせずに、昔の仲間たちと渡り合える人間になりたいっていう風に変わっていった」と語った。

 次回6月6日の放送ではゲストに篠原涼子の出演を予定している。

(文=向原康太)

関連記事