ニューアルバム『Play the Life』インタビュー
春畑道哉が振り返る、TUBEとギターに打ち込んだ音楽人生「いいメロディは更新されていく」
「進路指導の用紙にも、“プロのギタリストになる”って書き続けていた」
ーー春畑さんは、元々はギターではなくピアノを弾かれていたそうですね。
春畑:幼稚園から小学6年生までピアノをやっていました。小さい頃から音楽は好きだったみたいですね。親戚からもらったクラシックのレコードを聴きながら寝ていたみたいですし。ただ、大きくなるにつれて野球とかやりたくなり、段々ピアノは辞めたくなってしまって。毎日の反復練習が、とにかく苦痛だったんですよ(笑)。で、中学校への入学を機に辞めようと思っていたら、僕がピアノを弾けるという噂をどこからか先輩が聞きつけて、「お前、ピアノ弾けるんだったら俺たちのバンドでキーボードを弾け」と。
ーーせっかく辞められると思ったのに(笑)。
春畑:「次の練習までにこれ、弾けるようにしておいて」と言って先輩に渡されたのが、ジャーニーの「Any Way You Want It(お気に召すまま)」だった。それが、自分にとって最初の「耳コピ」でしたね。
ーーそれは、今まで春畑さんが馴染んできたクラシックピアノの奏法とは、全く違うものだったわけですね。
春畑:そうなんですよ。ただ、小学生の頃からクラシック以外の音楽も、色々と聴いてはいました。まず、小学六年生の時にサザンオールスターズがデビューして、短パンにランニングシャツというスタイルにテレビを見て衝撃を受けたり(笑)。クラスでもメチャクチャ流行っていましたね。他にもゴダイゴやツイスト、アリス、松山千春さん、それからオフコース。ギターにも興味を持ち始めて、叔父さんが持っていた白いアコギで、柳ジョージさんの「微笑の法則 SMILE ON ME」をコピーしたのを覚えています。
ーーその頃、洋楽は聴いていましたか?
春畑:小学生の頃は、ベイ・シティ・ローラーズとかキッスとかアバとか。中学に入ってからは、カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、マイケル・ジャクソンなど一通り聴いていましたね。いわゆる『ベストヒットUSA』世代です。
ーー曲を書き始めたのはいつ頃ですか?
春畑:バンドをやり始めてしばらくすると、メンバーそれぞれがオリジナル曲を作るようになっていました。中学の頃のバンドって、音楽の好みもバラバラのメンバーが、自分の好きな曲を何でもやりたがるじゃないですか。それで、ハードロックから歌謡曲からフォークから手当たり次第にコピーして、その延長でオリジナル曲も作っていた感じです。とはいえ、3コード程度の簡単な曲でしたよね。
ーーその時は、鍵盤で作ったのですか?
春畑:いや、曲を作り始めた頃はもうギターに夢中になっていましたね。最初に僕をバンドに誘ってくれた先輩が、ギターがメチャメチャ上手かったんですよ。ニール・ショーンでもヴァン・ヘイレンでも何でも弾きこなしていたので、まずはその先輩に憧れてギターを持ちました。で、高校に入ってからはさらにバンドにのめり込んで、いくつか掛け持ちで弾いていましたね。
ーー高校生の頃は、春畑さんの腕前もかなり知れ渡っていたとか。
春畑:色んな噂が流れてくるんですよね。「成瀬高校の誰々って奴は、カシオペアの何々が弾けるらしいぞ」みたいな(笑)。
ーーインターネットどころか携帯もない時代に(笑)。
春畑:そうそう。どうやってそんな情報が流れてきたのか、今となってはよく分からないんですけど。で、当時の僕は、とにかく「弾けない曲は一つもない」っていう状態になりたくて。特にハードロック系ですよね。テクニカルな奏法を、スポーツのようにクリアしていくことが楽しかった(笑)。
ーー「どれだけ指が早く動くか?」みたいな(笑)。それって、ピアノの反復練習が活かされたと思いますか?
春畑:それもあるかもしれませんが、ピアノのおかげで音感が鍛えられたのは大きかったですね。耳コピする速度が、他の人よりもかなり早かったので。例えばオフコースとかアリスの曲をコピーしたことで、コード進行の仕組みなどをより理解するようになったと思います。
ーー高校時代、選りすぐりのメンバーを集めた「バッキングM」というバンドで、本格的にプロを目指したそうですね。
春畑:デモテープを作っては、レコード会社に送りまくっていました。中学1年でバンドを組んだ時から、自分はプロのミュージシャンになるつもりでいたし、もちろんその時もプロになることしか考えていなかったですね。迷いは一切なかった。学校で配られる進路指導の用紙にも、「プロのギタリストになる」って書き続けていましたから、高3の時の担任にはさすがに諦められて(笑)。「お前はもうギタリスト以外ムリだから頑張れ」って言われました。
(一同笑)
春畑:高3の終わり頃にはもうTUBEを結成していて、地元から六本木まで通うようになっていたんですね。ほとんど学校へ行けなくなってしまったんですけど、先生はとても応援してくれていましたね。ちゃんと卒業できるように、出席日数も誤魔化してくれましたし(笑)。
ーー曲の作り方も、どんどん進化していったのでしょうね。
春畑:そうですね。始めの頃はただカッコいいリフを並べて、そこにメロディを乗せるような作り方ばっかりでした。でも、いつからだか織田哲郎さんのコピーをするようになって、そこからはメロディが主体で、後からコードやアレンジが付いてくるような、そういう曲作りをしていましたね。まだ楽曲提供していただく前だったんですけど、「織田哲郎&9th IMAGE」時代の楽曲を、TUBEのレパートリーに加えるくらい好きでした。
ーー織田哲郎さんの楽曲の、どういうところに惹かれたのでしょうか。
春畑:それまでずっとハードロックばかり聴いていたものだから、とにかく楽曲の洗練された美しさに感動したんですよ。それに、アレンジのバラエティも豊かで、バラードからロックンロールまで幅広くやるし、すごく軽快なポップミュージックもやる。それをバンドでカバーしたのはとてもいい経験になりました。