『Chocolat & Akito meets The Mattson 2』リリースインタビュー

Chocolat & Akitoが語る新作誕生の背景と、聴き手の意識変化「折衷的な音楽が受け入れられつつある」

 Chocolat & Akitoが、アメリカ・カリフォルニアを拠点として活動する双子のサーフジャズデュオ、ザ・マットソン2とのコラボレーションアルバム『Chocolat & Akito meets The Mattson 2』を3月2日にリリースした。2組が初めて出会ったという2008年から約8年の歳月をかけて制作された同作は、Chocolat & Akitoの持つ柔和なポップさに、ザ・マットソン2とのコラボでニューウェイヴ、ポストパンク的要素が加わったことで、新しい手触りの音楽性を実現している。リアルサウンドでは今回、聞き手に音楽評論家の小野島大氏を迎え、同作について片寄明人とショコラの2人へインタビューを行なった。作品が生まれた理由や、海外のミュージシャンの間で起きている、AOR的な音楽への再評価について、さらには2人にとってのJ-POPと歌謡曲など、じっくりと語ってもらった。(リアルサウンド編集部)

「アメリカ人が再びメロディに注目してる」(片寄)

――掛け値なしに素晴らしい傑作で、これはぜひ取材させていただきたいと思いました。

片寄明人(以下、片寄):ありがとうございます。

ショコラ:嬉しいです。

――今回はショコラ&アキトと、カリフォルニアの双子兄弟バンド、ザ・マットソン2(以下、マットソン2)との共演盤です。資料によれば2008年からこのプロジェクトが始まったらしいですね。

片寄:ショコラ&アキトでMyspaceをやってたんですけど、そこにマットソン2から突然メッセージが来たのが2008年のことだったんです。「とても気に入った。自分たちもジョン・マッケンタイアのスタジオでレコーディングをしたばかりなんだ。近々日本に行くので見に来てくれないか」と。チェックしてみたら面白かったので見に行ったのが初めての出会いです。そうしたら意気投合して。そのころ彼らはまだ20歳そこそこだったんじゃないかな。見た感じアメリカのガキそのものなんだけど、スーツ着てステージに立つと、昔のジャズマンが乗り移ったみたいな凄いインプロヴィゼーションをやる。双子でしか出せないグルーヴを出すライヴが素晴らしいと思って。そこから仲良くなってメールのやりとりをしているうちに、自分たちのファースト・フルアルバムに1曲歌ものを入れたいから、共作してみないかと言われて、それで書いたのが(今作収録の)「I Love You」じゃないかな。

ショコラ:そうかもね。

片寄:メロディだけ書いて送ったら、1曲だけ入れるのももったいないから「歌ものは歌ものでまとめて出そう」って話に、向こうでなったんだろうね。

ショコラ:うん。

片寄:彼らのプロデューサーにトーマス・キャンベルっていうアーティストがいるんです。数年前に話題になった『Sprout』という、サーフ・ムーヴィーなんだけど音楽にトータスやサム・プレコップを使ったりするちょっと面白い映画も撮った人で。トミー・ゲレロやマットソン2のアルバムを出したギャラクシアというレーベルのオーナーでもあって、彼の判断でまずはインスト・デュオとしての認知を高めたいから、歌ものは後回しにしようということで、結局先延ばしになってしまったんです。でもそれから事あるごとに曲作りは続けてきて、出そうかというタイミングは何回かあったんですけど、なんとなくまとまらないまま来て。

ショコラ:それが去年急にレコーディングすることになった。

片寄:ちょうどタイミングが合ったんですね。彼らもデビューしてインストのデュオとして認識もされてきたし、今後いろんな著名なアーティストとのコラボレーションもやっていこうとしてるらしく、その第一弾、ということなのかな。

――マットソン2と出会ったのは、ちょうどレイ・バービーとの共演盤『RAY BARBEE meets THE MATTSON2』(2007)を出したあとぐらいのタイミングですか。

片寄:そうですかね。来日公演の時はレイ・バービーはいなかったですけど。

――彼らはどうやってショコラ&アキトを発見したんですかね。

ショコラ:たぶんジョン(・マッケンタイア。トータス)から聞いたんじゃないかな。

片寄:2007年や2008年って、僕の周りのアメリカ人の連中にとっては、ひとつの転機だったみたいでね。今でこそダフト・パンクとかブルーノ・マーズみたいなのが流行ってきてるけど、そのきっかけになった年だったなんじゃないかな。それまでだったら絶対聴かなかったようなホール&オーツとかをトータスの連中が面白いと言い出したり。ボビー・コールドウェルとかネット・ドヒニーみたいなAORを今聴いてるんだけど、日本では昔から人気あるらしいね、みたいな話をアメリカに行くと言われたり。元々はパンクにルーツを持つ連中まで、メロウなAORみたいな音楽に興味を示してるなって、なんか感じてたんですよね。

ショコラ:うん、うん。

片寄:そういう流れがあって、僕らは2009年ぐらいに曲作りの旅でアメリカに行って、トーマス・キャンベルの家に行ったりマットソン2の家に泊まったりしたんですけど、向こうからキーワードとして出てくるのはスタイル・カウンシルとかね。突然トーマスに言われて意味がわからなかったんですけど、アメリカ人からするとそういう音楽が新鮮に感じられた時期だったんでしょうね。

――日本人からすると「なにを今さらスタイル・カウンシル」ですけど(笑)。

片寄:(笑)。ほんとそうなんですけど、90年代の渋谷でみんなが聴いてたような音楽を、今頃アメリカのインディ・ミュージシャンが発見してるっていう。

――ああ、面白いですねえ。

片寄:トーマス・キャンベルと話していて印象的だったのが、チカーノ・ギャングみたいな連中いるじゃないですか。ローライダーという、暴走族みたいなシャコタンに乗った奴ら。昔ならWARとかスウィート・ソウルみたいなのをクルマでかけていた連中が今何を聴いてるかっていうと、ザ・スミスをかけてるんだって。

――モリッシーのザ・スミスですか?

片寄:モリッシーのあの歌詞の感じが、チカーノの連中にとっての昔のスウィート・ソウルみたいなものだっていうんですよ。あの女々しい感じというか。ザ・スミスとかコクトー・ツインズとか聴いてるって(笑)。

ショコラ:(笑)。言ってた言ってた。

――へえ…

片寄:ほんとかどうかわかんないんですけど(笑)。実際にマットソン2の周りのサーフ・シーン――サーファーなんだけど文化系のメンタリティを持ってるような、アートもやりながらサーフィンもやってるような連中――では、そういう80’sのニュー・ウエイヴとかAORだったりが新しいものとして注目を浴びていた時期だったみたいで。ブラジルものとかもそうだったかな。僕が持っていったパソコンの中に入っていた音楽もすごいみんな面白そうに聴いてくれて。

ショコラ:うん。

片寄:あのへんみんな繋がってるんだよね。デヴェンドラ・バンハート周辺の人たちもそうなんですけど、「Amoeba Music」(LAの巨大中古レコード店。サンフランシスコにも支店がある)で働いてるような音楽マニアの人たち。みんなそこで1ドルの安売りレコードでそういう昔のものを見つけてるんですよ、たぶん。そういう流れが何年かたつとチル・ウエイヴみたいな感じの音楽に繋がっていく。だからトロ・イ・モアとか出てきた時に、あの時の流れがこういう音に繋がっていったんだろうなって、実感としてすごくわかりましたけどね。

――2008年のアメリカ西海岸のインディ・ミュージシャンにとってのレア・グルーヴが80年代のニュー・ウエイヴやAORだったと。

片寄:そうだと思います。そういう音楽、今向こうのインディ・ミュージックで多いじゃないですか。そのへんが始まったのが2008年ごろだった気がします。

――日本人からみると2周か3周ぐらい遅れてる感じですけど(笑)。

片寄:僕が2000年にトータスのメンバーとソロ・アルバムを作ったとき、「Madonna49」という曲でジェフ・パーカーが弾いたギターを「おいおい!ジェフがまるでTOTOみたいなギター弾いてるよ」ってみんながゲラゲラ笑ってたのをよく覚えてるんですけど、あの当時の彼らはああいう音楽を一切聴いてなかったんでしょうね。アメリカ人が16ビートのちょっと洒落た音楽を聴いてたのって、90年代以降のリアルタイムではジャミロクワイとカーディガンズぐらいだったんじゃないかな(笑)。

――西海岸だとボズ・スキャッグスみたいな人も人気なかったんですかね。

片寄:あれはもっとFM寄りの、懐メロというか。ただジョン(・マッケンタイア)だけは、「ほかのやつに言うなよ」といって、これを好きなんだと「Lowdown」(ボズ・スキャッグス1976年のヒット)を家で聴かせてくれましたけど(笑)。

――口止めしたってことは、相当恥ずかしいものって認識だったんでしょうね(笑)。

片寄:たぶんそういう流れの中で、ショコラ&アキトに注目してくれたのかなって思うんです。

――そのエッセンスがショコラ&アキトに入っていて、それを彼らが感じ取って、連絡してきたと。

片寄:なのかなあ…うふふふ。

――20歳前後の彼らにとって新鮮に聞こえたってことなんでしょうね。

片寄:そうでしょうねえ。彼らがよく口に出す「Corny(古臭い、陳腐),but Good」みたいな感じ。それこそ70年代とか80年代の青春映画で流れていそうな、陳腐な音楽なんだけどグッと来る、みたいな。そういう音楽を探してる、みたいなことを(マットソン2が)言ってて。ウチでそういうAORやソウルを聴かせると興奮したり。そういうセンスの共有は何年もあったりしたかな。

ショコラ:彼らはメロディアスなものが好きだよね。

片寄:そうだね。それはある。2000年前後ってR&Bの世界でもビートの方に重点がいっていて、メロディがあまり重視されていない時代があったじゃないですか。ティンバランド全盛期の頃とか。そういうのを一回経由して、アメリカ人が再びメロディに注目してるのかなとは感じました。だからAOR的なものにも注目したのかなと。一回シカゴでタウン&カントリーのメンバーがDJやるというので見に行ったらボビー・コールドウェルかけてて(笑)。「お前こういうのを好きらしいけど、さすがにこれは知らないだろう?」って。なので「これは日本ではヤッピー・ミュージックだよ」って言ったらすごいがっかりしてた(笑)。

――日本では一回完全に消費されてうち捨てられた音楽ってイメージですよね。

片寄:そうですよねえ。ネット・ドヒニーだって(人気があったのは)日本だけでしたよねたぶん。当時はアメリカでは誰も知らなかったのが、去年シカゴのNUMEROってレーベルが再発して、若いミュージシャンがみんな聞いてたし。でもそれはアメリカに限らないかな。GREAT3にもjanという1990年生まれの若いメンバーがいるんですけど、マットソン2の感覚とよく似てますね。youtube世代って言い方はざっくりしすぎですけど、ジャンルや時代問わず、いろんなものに興味持って、親もロックを聞いていて、という世代。

――youtubeで面白いものを発見して、オヤジのレコード棚を探したらありました、という。

片寄:そうそう。

ショコラ:けっこうみんな意外にマニアックなものを知ってるよね。

片寄:なので最近は年齢の違いも国籍の違いもあまり感じないですよね、仕事してて。

――自分たちの感覚と向こうの若い人の感覚が変わらない。

片寄:そう。全然ギャップを感じないですね。

――なるほど。そういう感覚の共有はありつつ、実際の共同作業はどういう風に進めていったんですか。

片寄:このアルバム自体は自分たちとしてはかなり特殊な作り方で、まず先にトラックが全部送られてきてるんですよ。

――「All Instruments performed by The Mattson 2」とクレジットされてます。おふたりが担当したのはヴォーカルだけということですね。

片寄:基本的にはそうです。ちょこちょこショコラがシンセをダビングしたりしてますけど。早い話がマットソン2がインストを送ってきて、そこに僕らがメロディを乗っけるというスタイルで、自分たちの今までのやり方とはまったく違う。GREAT3でもほかのメンバーが書いたコード進行の上に自分がメロディを書くみたいなことはあるけれど、ここまである程度アレンジが固まった、このままインストでも出せそうなものにさらにメロディをつけていくという作業は初でした。だから普通は成立しないですよ(笑)。

――最初の段階ではおふたりのアイディアは全然入ってなくて、いきなり送ってくるわけですか?

ショコラ:そうですね。

片寄:だけど僕らが好きそうなトラックを送ってきますね。これなら書けそう、という。

ショコラ:そういうのを選んで。

片寄:でもそれで面白いようにハマるんです。彼らもたぶん歌ものとして考えてトラックを作ってないので、構成的にもAメロBメロサビ、というような通常のパターンでないものも多数ある。そこから構成もいじってないし、普通ならハマらないと思うんですけどね、でも不思議な感じで溶け込めて。これは相性がいいのかなと思いました。

――実際に顔をつきあわせてセッションして仕上げたような曲はない?

片寄:そうやって作ったのは、「Velvet in Room」ぐらいですね。

――英語詞の曲ですね。

片寄:これは向こうに行った時に顔をつきあわせながらその場で書いていった。英語詞はマットソン2からのリクエストで。僕のデタラメな仮歌英語を元に彼らが書いたんです。

ショコラ:でも(作ったのを)忘れてたんだよね。こんなのあったよって、送られてくる。

片寄:そう。一杯送ってくるんですよ。今回は時間の限りがあったので、この9曲になったんですけど。曲を作る作業はデモを作る段階でいろいろアイディアを交換して仕上げていくんですが、レコーディング自体は去年の2月からスタートしました。実質的なレコーディングは2~3週間ぐらいです。

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