米米CLUBの功績を今こそ振り返る エンタメ性と音楽的探求はどう共存してきたか

再結成〜そして現在

 97年3月の<a K2C ENTERTAINMENT THE LAST SYMPOSIUM>から9年。2006年にまさかの再結成を果たす。黄金期ともいえる8人に加え、サポートであったBE(Gt)が加入した9人編成。〈歌えや踊れや命の限りに 騒ぎ屋家業十何人!〉とバカ騒ぎする姿は「お客さんが楽しんでくれるのが嬉しい、でもやってる本人たちが一番楽しい」というTVK『ファンキー・トマト』やフジテレビ『冗談画報』で見た80年代のあの頃と変わらない、本来の米米CLUBだった。「大人がふざけたことを真面目にやる」「高いスキルを以てくだらないことを全力でやる」という姿はむしろ、歳を重ねた今のほうが説得力も破壊力も増している。

米米CLUB 『a K2C ENTERTAINMENT DVD BOX「米盛V」ダイジェスト』

 「30周年は僕だけでやらせてもらおうと決めた」今年、石井がソロとしてデビュー30周年記念のツアーを行い、デビュー日の10月21日には日本武道館に立った。何周年を記念して何かをやることが好きではない米米CLUB(8周年はあくまでシャレ、石井談)はまたいつか、ふと思い出したように、再び集まって世間をにぎやかすのだろう。

 文化学院の映画研究会の学生たちがトム・トム・クラブをパロディとし「”コメコメクラブ”というネーミングが面白い」とコンパで盛り上がったことが、そもそもの始まりだ。同じ音楽を志し、夢を追いかける仲間といったロックバンドのサクセスストーリーではなく、その場に居合わせた楽器の出来る連中が集まった企画モノであり、悪ノリでもある。コンパの余興がパブから学園祭になり、ライブハウスからホールへとどんどん大きくなっていった。本人たちが楽しみながら、そこに関わるもの、観るものを巻き添えにしていく。「米米CLUBとは文化である」とはカールスモーキー石井の言葉である。演者も観客も一緒に騒ぐ、ファンを含めた壮大なエンターテインメントが“米米CLUB”なのだ。

■冬将軍
音楽専門学校での新人開発、音楽事務所で制作ディレクター、A&R、マネジメント、レーベル運営などを経る。ブログtwitter

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