ドレスコーズ・志磨遼平が語る、ビートルズとポールの魅力「バンドを解散するところまで完コピしました」
ポール・マッカートニーが4月21日から28日に来日記念公演を行うことを記念し、ムック本『ぴあSpecial Issue ポール・マッカートニー来日記念号2015』が、4月2日に発売された。同書のメイン企画である「Welcome Back PAUL!」では、黒柳徹子、浅井愼平、井上夢人、浦沢直樹、佐野史郎、倉本美津留、森川欣信など、さまざまな文化人・著名人がポールについて語るほか、岸田 繁(くるり)とOKAMOTO'Sによる対談や、山崎まさよし、寺岡呼人、仲井戸“CHABO”麗市へのインタビューなど、ミュージシャンがポールへの思いを明かしている。
リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintが編集制作を行った同書。ここでは、ビートルズのレコードでロックンロールのスタンダードを知り、前バンド時代には、ビートルズ作品が生まれたアビーロード・スタジオ・第二スタジオでレコーディングをしたドレスコーズ・志磨遼平のインタビューを紹介したい。
「ポールが何をしても喜んでしまう節がある」
――2013年の来日公演はいかがでしたか。
志磨:素晴らしかったですね。僕は恥ずかしながら初のポールのライヴで。ずっと、ツアーのたびに各地の映像をDVDなどで観てましたから。「007死ぬのは奴らだ」の特効が生で観れたのも嬉しかったですね。
――ばっちり予習済みですね。
志磨:ファン歴としては生まれたときからで、親と一緒に聴いていたので思い入れだけは、十分でした。「アナザー・デイ」が聴けたのも嬉しかったですね。最近のツアーでは入ってなかったですよね? あとは「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」。これが5人で演奏できるのは、同じミュージシャンからすると唸っちゃいますよね。素晴らしすぎたので、2014年は、国立競技場2日間と武道館も取れたんですけどね……。
――とても残念でしたね。
志磨:でも、ウイングスとかがリアルタイムの世代の方が言う、「ポールには2回裏切られてるからね」ってやつ、あれを僕も言える喜びもありました(笑)。「チケット取ったのにさ」っていうのを、僕もいつか年下のポール・ファンに言えるんだって。僕からすると、ポールが何をしても喜んでしまう節がありますから。ああいう一抹の憤りをポールに対して持ってる感じがかっこいいんです。
――今年の来日で期待するのは?
志磨:それはもう武道館ですよ! 去年の償いとして、1、2曲でいいから、リンゴ・スターを呼んで。「アイム・ダウン」あたりをやってくれたら、もう何も望みません(笑)。
――志磨さんにとってはビートルズは子守唄代わりといった感じですが、意識して聴きだすのはいつ頃ですか。
志磨:中学生ですね。日本のポップスを聴き出して、いろんなミュージシャンが音楽的なルーツを話す時に、ビートルズって言うんです。何やろ、ビートルズってと思って。親父にビートルズのレコードある?って訊いたら、「あるも何もお前小さいときから聴いてたよ」って出してくれたのが、1980年くらいに出た『ビートルズ・バラード・ベスト20』という編集盤で。1曲目が「イエスタデイ」なんですけど、それを聴いて全部思い出しましたね。小さいときの記憶が蘇る装置みたいな感じで、ふぁーっと涙が出てきて。音楽で泣くのが初めてだったから、僕って音楽で泣くんやって思って。それから、毎日毎日、聴いてしましたね。
――自分で音楽をやっていくにあたっては、やはりビートルズが教科書になっていたんですか。
志磨:そうですね。ギターを買って、「ラヴ・ミー・ドゥ」はコードが3つくらいなのですぐ弾けるんですよね。レコードに合わせて弾いたりしてましたね。自分が、一番素直に感動できる音楽は、ポールが得意とするような楽曲で。そういうのが今でも一番好きですね。ポールがロックに持ち込んだものはたくさんありますよね。クラシカルな「イエスタデイ」みたいなものや、ボードヴィルやジャズっぽい響き、ケルトっぽいもの。それはお父さんの仕事だったり、自分の血統だったりというポールのルーツですよね。それがそのままビートルズ以降は、世界のポップスのルーツになってしまったわけで。ポールがどれだけ偉大な音楽家かそれだけでわかる。